前半の記事では、ヒトの知能の学習や経験や文化的背景に依存していない部分を測定すると予想された非言語性IQテスト(知能検査)のスコアが実際には学習や経験や文化的背景によって大きく変動してしまうものであり、人間の知的能力の生まれつきと言える部分を上手く測定できるIQテストは無い、ということを研究証拠と共に見てきました。
まあ、もうこの時点でIQテストの結果であるIQを使って個人の知的才能やポテンシャルを評価するのは難しいことがご理解頂けるかとは思うのですが・・・残念なことに、IQに関してはもう一つ、個人の知的才能の指標として用いることをさらに困難にする事実が知られています。
それはIQが、教育の結果として上がってしまう代物だということです。
教育の効果でIQが上がる
IQの高さと学歴が非常によく相関する(相関係数 r > 0.8)というのは、教育心理学分野の研究の中で繰り返し指摘されてきました。
ただ、相関というものが出てきたらいつも気を付けないといけないのは、「相関関係」と「因果関係」は全く別ものであるということ。
相関関係が無いなら因果関係も無いというのは正しいのですが・・・IQと学歴が強く相関するからと言って、「学校教育がIQを上げるのだ」と単純に結論することはできません。
IQと学歴の強い相関関係の説明としては、大きく次の3通りが考えられます。
- IQが高いことで高学歴になりやすい
- 学校教育の効果でIQが上がる
- IQと学歴を同時に高める共通の因子が存在する
もちろんこの三つは並立することも考えられます。しかし、知能検査が子供の学習以前の知的発達度合いを調べる目的で導入され、1980年代までは人間の知能の「学習に寄らない生まれつきの部分」を測定できると信じられてきたことで、2. の「学校教育がIQを上げる」という可能性は歴史的にあまり顧みられてきませんでした。
しかし教育学研究の長い歴史の中では、この「学校教育がIQを上げる」という可能性を示唆するデータもまた確かに得られてきていたのです。
どんな研究証拠が歴史的に得られてきたかはCeci (1991)の論文に非常に良くまとまっているので、興味のある方は是非その情熱的な原文を楽しんで頂きたいと思いますが・・・
How much does schooling influence general intelligence and its cognitive co...: EBSCOhost
例えばFreeman (1934)の研究では、貨物船で生活し学校へ行く期間が短い子供達を知能検査で調べると、4~6歳ではIQ90と比較的平均に近いスコアを記録するのに対し、12~22歳では平均IQ60と、同世代に比べて顕しく低いスコアを記録するようになったことが報告されています。
また、教師が居ないため学校教育が受けられなかった南アフリカの村の子供たちの研究(Ramphal, 1962)では、教師を確保できた近隣の村の子供達に比べて、教育機会が1年遅れるごとにIQが5ポイント低下したという結果が報告されています。
こうした学校教育へのアクセスが悪い児童で年齢が上がるにつれIQが低下する現象は、同様に学校へ行く期間が短いジプシー家庭や僻地住民など、世界中の色々な地域、ケースで報告されてきました。
疑似実験的研究とメタ解析による検証
上記のCeci (1991)の論文には他にも多くの「学校教育がIQを上げる可能性」を支持する観察的な研究証拠が紹介されています。
しかし、そうした昔の観察研究の多くは家庭や生育環境について特殊な事情を抱えた子供達に注目しているため、観察されたIQの変化が本当に教育機会の差異によって生じたものか、はっきり結論することができません。
そこで近年では、「学校教育がIQを上げる」という因果関係をよりダイレクトに検証できるよう工夫した研究が行われるようになりました。
Ritchie & Tucker-Drob (2018)は、数ある学校教育とIQの関係性の研究の中から、学校教育によるIQ上昇効果が明確に議論できる、疑似実験的デザインの研究を選んでメタ解析を実施しています。
How Much Does Education Improve Intelligence? A Meta-Analysis - PMC
Ritchieらが注目したのは①最初のIQの違いの影響を除いた上で教育期間の長さとIQの関係性を見ている研究、②国の教育システム変更による義務教育期間の変化のIQに対する影響を見ている研究、③学年の開始基準日(日本だと4月1日)前後に生まれ僅かの差で就学タイミングがズレた子供達の間でのIQの比較研究、の3種類。
①の研究デザインは、スタート時点のIQの影響をコントロールする統計解析によって「高いIQによる教育期間の延長効果」の可能性を除いても「教育期間の延長によるIQ上昇効果」が観察できるかどうかを調べています。
②と③は入学試験による選抜が無い、すなわち「高いIQによる教育期間の延長効果」の可能性が無い義務教育期間に着目することで、「教育期間の延長によるIQ上昇効果」の観察を可能にする疑似実験デザインとなっています。
特に③の研究デザインでは、学年の開始基準日前後で生まれた年齢(発達段階)的にあまり差の無い児童の間でIQの比較をすることで、子供の成長に伴う生得的なIQ上昇の可能性も除き、学校教育によるIQ上昇効果の有無を調べることが可能になっています。
それぞれのデザインの研究報告を集めて実施されたRitchieらのメタ解析の結果、①~③どのデザインの研究においても学校教育によるIQ上昇効果が認められ、教育期間が1年長くなるごとのIQ上昇は概ね1~5ポイント、平均では3.4ポイント上昇するという推定が得られました。
最も大きなIQ上昇効果が認められたのは③の学年開始基準日前後で生まれた子供達に注目した研究のメタ解析で、1年間の学校教育によって平均5.2ポイントと、顕著なIQ上昇効果が認められました。また、結晶性知能スコアで5.4ポイント、流動性知能スコアで5.1ポイントと、それぞれ遜色の無い上昇が確認されました。
これらの研究の内、①と②では十年以上に渡る長期的なスパンでのIQ上昇に着目しているのに対し、③の研究デザインでは1年間というごく短期間の教育の差によるIQ上昇を見ています。
従ってこれらの研究結果は、学校教育で短期的にも長期的にもIQが上がることを強く示唆していると言えます。
教育がIQを上げるメカニズム
学校教育がIQテストのスコアを上げるとして、それは一体なぜなのでしょうか?学校で知能検査の解き方を教えているわけでもないというのに。
知能検査が測定しているのは人間の様々な認知能力なので、IQが上がるということから、学校教育には人間の認知能力を引き上げる効果があると予想されます。
学校教育が人間の認知機能に与える影響についてこれまでどんな研究結果が得られているかは、上で紹介したCeci (1991)に加えてLövdén et al. (2020)の論文でも良くまとめられていますので、詳細が気になる方は読んで頂きたいと思いますが・・・
https://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.1177/1529100620920576
これまでの研究で示唆されていることをざっくりまとめれば、学校教育は人間の様々な認知能力に直接ポジティブな影響を与えると同時に、テストに向かう姿勢や解答戦略、正解を出すことへのモチベーションなどの形で、間接的にもIQテストスコアに影響を与えていると考えられています。
特に興味深いのは、様々な種類の認知能力テストスコアを解析したデータから、学校教育はあらゆる知的活動に共通に関わるとされる一般知能(g)に直接働きかけるのではなく、狭い範囲の認知能力ドメイン個々に作用するというモデルが最も支持されていること。
Is Education Associated With Improvements in General Cognitive Ability, or in Specific Skills? - PMC
これは、IQの高さと専門分野での成果との相関が非常に弱いことを示す多くの研究結果に通じると共に、教育というものの難しさの本質を表す結果と言えるのではないかと個人的に感じています。
まとめ:IQは個人の知的才能の指標としては使えない
誤解の無いよう強調しておきたいのは、人間の認知能力の発達に生まれつきの、生得的な差があるということもまた、これまでの研究からハッキリと示唆されてきているということです。
まあ、同じ年齢の子供に同じことを教えた時に見られる理解力のばらつきには驚かされることが多くて、個人的にも人間の知的発達に生まれつきの差が無いなんてとても思えません。
そして、IQテストの結果がそうした人間の生まれついての「地頭」的な知的能力の差を全く反映しないということでは決してないのです。
重要なのは、これまで紹介してきた非言語性知能テストに関する研究、そして、教育とIQの関係性に関する研究からも明らかなように、IQというのは文化、教育、知識、経験といった様々な環境条件や後天的な要因の影響を受けて相当に上下してしまうもので、その高低が「生まれついての知的能力の差」やら「個人の知的ポテンシャル」やらをよく反映したものになっているとは到底言えないという点です。
この記事ではほとんど触れてきませんでしたが、家庭の社会経済状況や親の学歴といった環境因子もまた子供のIQに大きな影響を与える可能性が繰り返し指摘されています。
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0160289614001433
つまり、ちょっとした生まれや経験の差、本人の能力以外の様々な外部要因で上がったり下がったりするIQを見ても、その人物についてわかることは非常に少ない。
そんなものを個人の才能の指標に使おうとするなんて・・・その正当性と根拠を聞かれて答えられる人は、果たしてどこかにいるんでしょうか?
まあそう聞かれても大丈夫、まともな回答が返せるというのでない限り、文科省がIQを基準に使わないのは正解なのです。
よほどIQに関して無知か、疑似科学に傾倒した人物が紛れ込まない限りはこれからも文科の教育事業でIQが使われることは無いと思いますけど・・・世の中色んな事が起こりますから、その辺は今後も見守っていきましょう。
最後に注意点
賢明なる読者の皆様に、2点ほど注意して頂きたいことがあります。
一つ目、今回ご紹介した学校教育によるIQ上昇効果を示した研究で用いられているデータの多くは、1950年代から80年代にかけての、インターネットが全く普及しておらず社会の教育リソースが学校に一極集中していた時代に集められたものです。
従って、ICT技術を使った家庭教育が大きく進歩し、学校外の教育リソースが充実著しい現代における、不登校の影響を論じる際には使えないデータであることにご注意ください。
二点目、一人も居ないことを祈りますけど・・・もしこの記事を読んで「小さな頃から教育すればIQは上げられるんだ」なんて早期教育に興味を持った人がいたとしたら、巷の怪しい教育ビジネスに引っかからないよう、ゆめゆめお気を付け下さい。
既にご紹介してきている通り、これまでの研究から、IQと専門分野での成功や生産性、創造性の間にはごく弱い相関関係しか見出されてきていません。
そして、IQが上がる教育が良い教育だなんて考え方もまた、世界的にはもはや前世期の遺物となりつつあるということを是非ご留意頂きたいと思います。
https://www.nier.go.jp/05_kenkyu_seika/pdf_seika/h28a/syocyu-2-1_a.pdf
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