【2023年2月7日 追記】
2023年2月7日に記事のアップデートを行いました。しかし、本記事は日本で「特異な才能児への教育支援」に関する議論が始まる前に書かれた記事であるため、いかんせんかなり古い内容になってしまっていることにご留意ください。
本邦での「特異な才能児」に関する有識者会議の話題、そしてIQの相関研究に関する内容については後により詳細な記事を多数まとめていますので、ご興味のある方はそちらも是非ご覧頂きたいと思います。
文部科学省「特定分野に特異な才能を持つ児童」関連記事一覧 - 努力する子の育て方
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前回は複数のギフテッドの定義について書きましたが、才能教育的定義においても発達心理学的定義においても、ギフテッドの判定基準として一番メジャーだったのは、歴史的にIQテストでした。
ギフテッドの研究論文でIQに関する記述が出てこないものはまずありませんし、アメリカ、フランス、ドイツ、様々な国で、IQは昔からギフテッド判定の重要な要素として用いられてきました。
ギフテッドの判定基準では、しばしばIQスコアのカットオフラインが示されます。例えばWISCで平均より2標準偏差上の130というIQスコアは、ギフテッドを語る上でのアイコンと化しつつあるほどメジャーな判定ラインです。
しかし、ギフテッドの判定基準としてIQスコアが使われる場合、基準値が130に設定されることが多いのは、どうしてなんでしょうか?ちょっと考えてみたいと思います。
(以下の議論はほぼ全て、ギフテッドの「才能教育的定義」の話、特に知的ギフテッドに限った話になります)
なぜギフテッドのIQカットオフラインをもっと上げないのかという問題
才能教育的な視点にもとづけば、「ギフテッド」というのは元来、将来高い能力を身につけ、何かの分野で革新を生みだすポテンシャルを有する子供のことでした。過去にそうした革新を生みだしてきた偉人達の研究から、そうした「天才」達は何かしら普通の人とは一線を画する特徴や能力を備えていたと考えられてきました。
「普通ではない能力を備えた天才」をイメージする時、IQ130というよくあるカットオフラインが「正直低すぎるのでは?」と感じる人もいることでしょう。IQ130以上というのはおよそ同年齢の上位2%のスコアです。人口の2%というのは「普通ではない能力を備えた天才」の出現頻度としては、たしかに高すぎると感じられますよね。
「普通ではない能力を備えた革新性を生み出せるポテンシャルを持つ子供」を発見してくるのであれば、もっとIQテストのスコア基準値を上げて、もっと「知的に普通ではない子供」をギフテッドとするべきではないか、そういう意見もたまに耳にしますし、可能性としては十分に考えられるアイディアです。
しかし実は、IQスコアの基準値を上げることでギフテッドを絞り込むという方法は、ギフテッド教育のゴールから見てあまり有効でないことを示唆する証拠が、これまでの研究から色々とあがってきています。
IQスコアと創造性の相関
「ギフテッドの選別により高いIQカットオフを使うべき」という主張への反証として非常に有名な結果は、スタンフォード・ビネー知能テストの生みの親、ルイス・ターマン博士の研究です。
20世紀初頭、ターマン博士は自ら改良したスタンフォード・ビネーテストを使って高い知能指数を示す子供1000人以上を見つけ出し、その人生を何十年も追跡調査しました。ギフテッドについての世界で初めての大規模追跡調査であるこの研究で使われたIQスコアの基準値は、140だったそうです。
この基準をパスした「ギフテッド」の子供たちの人生を追跡調査した結果、その人生は当たり前のように多種多様で、成功した者もいれば、上手くいったとは言い難い人生を送った者もおり、大多数は特に有名にならず中流の生活を手に入れていました。
ターマン博士の研究から見出された、高いIQスコアをギフテッドの選別に使う戦略への明確なアンチテーゼは、ターマン基準のIQ140 をパスした子供たちからは一人もノーベル賞科学者は出なかったのに対し、実際にターマン博士のテストをパスできなかった子供の中から、二人のノーベル賞物理学者が輩出されたことです。
この事実はターマン博士のギフテッドの判定基準が、高い知性を要求すると考えられる物理学分野での革新的創造性の予測に失敗したことを明確に示しています。
ちなみに、同じくノーベル物理学賞の受賞者であるリチャード・ファインマン博士も、自らの高校時代のIQスコアが125であったと語ったことが知られていますから、もし仮に彼がターマン博士のプログラムに参加しようとしたとしても、やはりテストをパスできなかった可能性が高いことになります。
ターマン博士の研究以降も、高いIQスコアと個人の社会的パフォーマンスの相関関係には、疑問視するデータが積みあがってきています。例えば、IQスコアと仕事上のパフォーマンスの間には、そんなに強い相関がないという複数の研究結果があります。
https://www.researchgate.net/publication/228356395_Intelligence_Knowns_and_unknowns
また、IQスコアと創造性の関係性に注目した複数の研究では、IQスコアと創造性の間には多くの場合弱い相関しか観察されません。
また、そうしたIQスコアと創造性の相関はIQスコアが高いグループでは無視できるくらいに弱まり、IQがある程度高くなると創造性の差はIQスコア以外の部分に依存するようになるという結果が報告されています(いわゆる"Threshold theory")。
IQと創造性の相関が弱まるカットオフがどこなのかは研究ごとに結構まちまちな結果が出ていますが、これまでの研究結果を見る限り、それは一番高いケースでもIQ120あたりとなっています。
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/10400419.2017.1303267?journalCode=hcrj20
IQ基準値をめぐる”大人の事情”
しかし、創造性とIQの相関がIQ120程度を境に無視できるようになってしまうという研究結果があるならば、逆になんでギフテッドのIQ基準値を120にしないんだという疑問がもちあがります。
海外でよく聞くギフテッドの判定基準にはIQ130のカットオフが多く採用されていて、120というのは少数派です。
少し考えると、これにはギフテッドのポテンシャル予測という側面とは全く別の理由を見出すことができます。それはギフテッドプログラムの運営上の都合、いわゆる「大人の事情」というやつです。
別にギフテッド教育プログラムに限った話ではありませんが、教育プログラムというものは、決められた予算、リソースの中で実施する必要があります。すると、受け入れられる子供の人数は、利用可能な予算とリソースによって決定されることになります。
予算とリソースの問題はプログラム運営上非常にクリティカルなので、プログラムの参加資格を得る子供が、受け入れ可能な子供の想定人数を大きく超える事態は避けなければなりません。人数が想定を超えて膨れ上がると、プログラムで提供するサービスの質が大きく低下し、結果的にプログラムを維持していくのが難しくなります。
ギフテッドの判定にIQスコアを使う場合、その基準値というのは参加資格を得る子供の数を決める重要な役目を果たします。
例えば平均100、標準偏差15で標準化されたウェクスラー式のような標準化IQテストの場合、IQカットオフを120に設定すると学区内の就学児童の約10%が参加資格を得られることになりますが、130にすると、約2%まで参加人数は絞られることになります。
つまり、IQ130という選抜ラインに特に研究上の根拠等が知られているわけではないにも関わらず、これまでメジャーなIQカットオフラインが130に設定されてきた理由としては、ギフテッドプログラムの予算とリソース、学区内の就学児童数を勘案した時の、運営上の事情の存在が考えられます。
しかし、以下の記事にもあるように、ギフテッド教育の研究が盛んなアメリカではギフテッドの判定にIQスコアを採用しているところは多いですが、IQスコア「のみ」で決めているところというのは最近もうほとんどないそうです。
www.psychologytoday.com
ギフテッド教育が社会に根付いてくると、多様な基準を使ってよりフレキシブルにギフテッドを定義した結果、少々プログラム参加人数が読めなくなったとしても、教育プログラムの運営がそれほど不安定にならない良い環境ができあがるのかもしれません。
フレキシブルなギフテッドの判定基準があることで、ギフテッド選別のためのスクリーニング戦略の研究(社会実験)もどんどん進むと考えると、理に適っているなあと、感心してしまいます。
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