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!ネタバレ注意!
この記事には漫画『鬼滅の刃』、映画『鬼滅の刃 無限列車編』、その他スピンオフ作品の内容や結末に関する記述が多数含まれています。未読・未視聴の方は作品を楽しまれてから本記事を読まれることをお勧めいたします。
また、本記事は『鬼滅の刃』を非常に現実的な視点から読み解いていきますので、『鬼滅の刃』のファンタジーとしての世界観が損なわれる可能性があります。『鬼滅の刃』のファンタジーとしての世界観を大切にしたい方は、ご注意ください。
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本記事シリーズでは、『鬼滅の刃』に見られる、いじめやパワハラ、モラハラ、毒親問題等への対抗策を念頭に置いたと考えられる描写やメッセージを読み解いていきます。
これまで見てきた通り、『鬼滅の刃』の鬼達には、自己愛病理や良心の欠如から、いじめやパワハラ、虐待行為を働いて人を食い物する人格障害やサイコパスの特徴がしっかりと描写されています。
では、いったいどうやって、私達はそういう現世の鬼達と戦えば良いのでしょうか?今回は、『鬼滅の刃』に描写される、私達が現実世界で鬼達と戦っていく上で大切な心構えや、戦い方のヒントを見ていきましょう。
冨岡義勇が教えてくれる現世の鬼に食われないための大事な心構え
『鬼滅の刃』の第一話、鬼になってしまった妹・禰豆子の命乞いのために土下座をした炭治郎に対する、水柱・冨岡義勇のとても有名なセリフがあります。
生殺与奪の権を他人に握らせるな!
みじめったらしくうずくまるのはやめろ!
そんなことが通用するなら お前の家族は殺されていない!
奪うか奪われるかの時に主導権を握れない弱者が 妹を治す?仇を見つける? 笑止千万!!
弱者には何の権利も選択肢もない 悉く強者にねじ伏せられるのみ!!
妹を治す方法は鬼なら知っているかもしれない
だが鬼共がお前の意思や願いを尊重してくれると思うなよ
当然俺もお前を尊重しない それが現実だ!!!
(出典:『鬼滅の刃』1巻 1話)
一方的に惨劇に巻き込まれ、何もわからない状況で義勇に妹を殺されそうになり混乱する主人公に向かって言い放たれた、中々に衝撃的なセリフ。
しかしこの冨岡義勇の言葉は、病的な自己愛や良心の欠如からいじめやハラスメントを行う人達を相手にする際の心構えとして、非常に的を射た内容となっています。具体的に見ていきましょう。
「鬼共がお前の意思や願いを尊重してくれると思うなよ」という正鵠
鬼になってしまった妹・禰豆子に刃を向け殺そうとする冨岡義勇に対し、炭治郎は「やめてください……どうか妹を殺さないでください……お願いします……」と土下座で命乞いをしました。それに対して冨岡義勇が言ったのが、「そんなことが通用するなら お前の家族は殺されていない!」「鬼共がお前の意思や願いを尊重してくれると思うなよ」という言葉。
作中、鬼という存在がどのようなものか読者に明らかにされていく内に、第一話でのこの一見冷徹なセリフがいかに正論であったかという点もまた、説得力を増していきます。鬼は人を食わなければ生きていけない存在であり、そうした行為に欠片も罪悪感を持たない。それを止めてと鬼相手に懇願するなど、何の意味も無いことであり、また逆効果であると。
これはそのまま、現世の鬼、他人を傷つけ搾取する自己愛性人格障害やサイコパス相手にも当てはまる話です。自己愛性人格障害の人が他人を傷つけたり意のままに操作しようとするのは、尊大すぎる自己像を守るという極めて利己的な目的のためです。
しかし、自己愛の人達は自分の非現実的な自己観を傷つけずに生きるために、ある意味必死でやっているのです。そんな相手に「止めて下さい」と懇願したところで何の意味もないどころか、弱みを握られてより一層利用されるのがオチだというのは、火を見るよりも明らかなこと。
サイコパスにしても同じです。元から共感性や良心が欠如している存在なのですから、こちらの気持ちを説明したところで何も伝わらず、行動が変わるなどということは少しも期待できません。仮に一時的にお願いが通じたように見えたとしても、それは貴方の気持ちが伝わったからではなく、問題の発覚を防ぐためであったり、一層搾取していくための作戦かもしれません。
サイコパスに貴方のことを尊重してもらおうなど、期待するだけ無駄です。他人の気持ちを尊重する能力が欠落した人達が、サイコパスなのですから。
鬼を相手に何も期待してはいけないということ
土下座で懇願した炭治郎に、冨岡義勇は言います。「奪うか奪われるかの時に主導権を握れない弱者が 妹を治す?仇を見つける? 笑止千万!!」「弱者には何の権利も選択肢もない 悉く強者にねじ伏せられるのみ!! 」
ここで冨岡義勇が言っている「弱者」とは、「主導権を握る力の無い者」です。そう考えた時、いじめやパワハラ加害者に対抗していくための心構えとして、この指摘も全くの正論です。
既に書いた通り、自己愛性人格障害やサイコパスの人達は、そもそも相手の都合など微塵も考えず、自分の為にいじめやパワハラ、モラハラなどの行為に及んでいて、最初から話し合いやお願いなど通じる相手ではありません。
そんな相手に対して主導権を握れなければ、それはもう相手の思うがままに操作され術中にはまっているのと同義。相手にお願いするというのは、決定権を相手に委ねるということに他なりませんから、そんな風に主導権を相手にを渡してしまうなど、義勇の言う通り笑止千万なのです。
そう、こちらに危害を加えてくるような自己愛やサイコパスの相手をする時というのは、まさに主導権を「奪うか奪われるか」のやり取りです。そして、そのやり取りでまず大切なのは、「相手は話や常識の通じるようなまともな相手ではない」という正しい認識に他なりません。「まさかそこまで悪い人ではないと思う」「相手にも事情があるに違いない」そういう同情や楽観的な考え方が、命取りです。
病的な自己愛に囚われたり、良心の欠如が原因で他人を傷つけ搾取するようになった人格異常者の存在を感じたならば、まずはこの冨岡義勇の名台詞を思い出しましょう。
鬼殺隊に学ぶ現世の鬼に対抗する術
『鬼滅の刃』の鬼達は、人に化けて人間社会に溶け込み、何も知らない人間たちを食い物にしています。そんな鬼の所業を知っているのは、政府非公認の秘密組織である鬼殺隊とごく一部の協力者のみ。警察など公安組織をはじめ、一般の人々の多くは鬼の存在すらまともに認識していないというのが『鬼滅の刃』の世界の事情。
この設定、鬼をいじめやハラスメント加害者として見た時にも、非常にピッタリきます。いじめもパワハラも家庭内での虐待問題も、ほとんどの場合小さなコミュニティの限られた人間関係の中でしか認識されず、公に広く知られぬままに深刻化していくものです。そしてほとんどの場合、警察の介入による解決が望めないというのもそっくり同じ。
そんな共通点の中、鬼殺隊が鬼と戦うその様子には、私達が現世の鬼と上手に戦っていく上でのヒントもまた、沢山見出せると感じます。
鬼の臭いを覚えて正体を速やかに見破るのが被害拡大の防止策
鬼滅世界の鬼同様、自己愛病理を抱えたり良心が欠如した人達は、そうとは気取られぬよう表面を取り繕いながら生活し、被害をもたらします。従って、その特徴を見抜き正体を看破することは、現世の鬼達の被害に遭わないためにもやはり大事なことです。
自己愛性人格障害やサイコパスに関する、基本的な知識を得ておきましょう。相手の特徴や行動を知らずに、戦局を有利に進めるのは難しいことです。お堂の鬼(鱗滝さんのところへ行く道中で遭遇する最初の鬼)との戦いでは、鬼のことを良く知らず、トドメの刺し方がわからない炭治郎の大変な苦労が描かれていましたね。
また、「現世の鬼の臭い」に気を配りましょう。鬼滅世界では、鬼特有の臭いを覚えてかぎ分けられるのは炭治郎だけの持つ特殊能力でしたが、「現世の鬼の臭い」に関しては知識を持って場数を踏めば誰でも感じられるようになります。
これまでの記事で鬼の特徴としても紹介してきた通り、自己愛病理を抱えた人達やサイコパスの言動にはある種の共通点があります。
「責任転嫁・責任逃れ」、「理屈の通らない自己正当化」、「不必要なマウンティング」、「見栄っ張り」、「約束を守らない」、「悪びれず一方的に他人に負担を強いる」、「どうでもいいような小さな嘘をつく」、「一貫性のない・裏表ある言動」、「突然怒り出す」、「やらない言い訳を繰り返す」、「自分の作った小さなコミュニティに引きこもうとする」といったような、日常の中で目にした時に相手の意図やモラルに違和感を感じる言動は、自己愛病理を抱えた人間やサイコパスの人達「あるある」です。
もちろん全てではないにせよ、こうした自己中心的な言動の多くは、内に秘めた尊大な自己像が傷つくことを恐れるが故であったり、良心や共感性の欠如の発露、またそういう事実を誤魔化すための行為といった、現世の鬼の「臭い」です。大人になってもそういう様子が見られる人は、よく観察して警戒しておきましょう。特に、唐突に馴れ馴れしく近づいてきた人からそういう臭いがしたならば、要注意です。
仲間と協力して組織的に戦う必要性
鬼は疲れず、人間の力をはるかに凌駕し、そして血気術という超常的な力まで使ってこちらを殺そうとしてきます。そんな力を持った強力な鬼相手に炭治郎達が勝利してこれたのは、鬼殺隊の仲間と協力しながら組織的に戦ってきたからなのは、言うまでもありません。
自己愛性人格障害やサイコパスの人達も、一人で相手をするのは大変に難しい相手です。なんせ相手はニコニコしながら近づいてきて、簡単にばれるような嘘を平然とつきながら、こちらを騙して利用しようとしてくる、普通では考えられない一線を超えてくる人達なのですから。従って、現世の鬼に対抗する上でも、やはり仲間との共闘は必要不可欠です。
自己愛やサイコパスの人達がつくその場しのぎの嘘も、複数人で検証すれば大抵すぐに矛盾が明らかになります。多くの監視の目を持ち、仲間内で情報を共有することで、一人で行うよりも効率的に、加害者の人物像の把握が可能になります。
自己愛性人格障害やサイコパスの人達の抱える異常性は、完璧に隠し通せるものではありません。表向きはまともな人間を装っていても、隠されたその言動の異常性を知って距離をおいている人達、過去同じ鬼の被害に遭ってしまった人達など、次の被害者が出ないように気を配っているサバイバー達が、鬼の周囲に必ずいるものです。そういう仲間を見つけ出し、プチ鬼殺隊を結成しましょう。
いじめやパワハラ加害者にも効果絶大な「日の下に晒す」という倒し方
鬼滅世界の鬼をいじめやパワハラ加害者、毒親のメタファーとして見た時、非常に感心するのが、「日の光に当てると死ぬ」という設定です。なぜならば、これはいじめやパワハラ、モラハラなどの虐待行為を働く人達にも共通する弱点だからです。
他人を傷つけ食いものにする自己愛やサイコパスの人達は一見余裕があるように見えますが、ほとんどの場合、自分達がやっているいじめやハラスメント行為が露見することを恐れ、それが発覚しないように一生懸命です。
自己愛の人達は、社会的に容認されないいじめやハラスメント行為を行うことに対する罪悪感が一応あります。従って、そんなことをしている事実を認めてしまうと自分の尊大な自己観が大いに傷つくので、他人にそうとは思われないよう一生懸命嘘で取り繕っており、また発覚した場合にはよくわからない理屈をつけて自己正当化します。
例えば半天狗のように、加害者の自分に非はなく、自分の非を咎める相手がおかしいのだと周囲の人間が誤解するように、事実でないことを延々と吹聴したりと、本当に異常な行動をとる人達です。
サイコパスは、自分の行為に罪悪感を感じません。しかし、自分が他人から搾取する人間だとタネがバレるのは不利であるという損得勘定はできます。そこで、自分の行為が露見しないように一生懸命に証拠を隠滅します。例えば、教祖を演じながら人間を食っていることを知られた童磨が、伊之助の母親を殺して口を封じたように。
自己愛性人格障害もサイコパスの人達も、そうやって取り繕いながら、自己目的のために一部のターゲットを虐げ、搾取しながら人間社会に溶け込んで生きていこうとするのです。
だからこそ、その最も効果的な倒し方は、異常性極まるその反社会的な、倫理にもとる言動を白日の下に晒すということ。いじめもハラスメントも、誰が見聞きしても明らかな確たる証拠を押さえてしまうのが解決への近道です。
いじめやパワハラ、モラハラに関する社会の対応は決して十分ではありません。それでもいじめ防止対策推進法やパワハラ防止法など、学校や会社組織への対応を義務づける法整備が近年やっと進んできました。
確たる証拠をもとに問題の存在を明るみに出すことで、社会や組織が対応せざるを得ない法的根拠、もしも対応しなければ対応しないこと自体を問題視する社会の風潮ができてきています。
現世の鬼のおかしな言動を見咎めたなら、すぐに証拠集めを始めましょう。ICレコーダーを常に回しっぱなしで携帯しておくなど取りうる方法は様々ですが、ここは状況に応じて色々な工夫が求められる部分かと思います。
しかし十分日の下に晒せば現世の鬼は社会的に死ぬということを念頭に、入念に作戦を練って実行していきましょう。
人を食って強くなる鬼からの退避は、立派な戦略であるということ
冨岡義勇は鬼に対する心構えとして、「主導権を渡すな」と言っています。しかしこれは決して「逃げるな」という意味ではありません。
逃げることで状況を有利にコントロールできるのであれば、それは相手に主導権を渡さない優れた方法と言えるでしょう。特に、鬼が人を食ってパワーアップするとなれば、自分の身を守ることだって立派な戦略。
実際鬼殺隊の面々も、自分と鬼の能力差や戦闘状況に応じて、鬼と戦わずに避難したり仲間を待ったり、後方支援に回ったりしていました。鬼舞辻無惨との無限城での戦いでは、隊士が食われて無惨が回復しないように、お館様が退避の指令を出していましたね。
何も斬りつけにいくだけが正解ではない。これは現世の鬼との戦いでも同じことです。相手とする鬼の立場や能力が厄介すぎる、協力できる仲間がいない等々状況が自分に不利な時には、正面から争うのが得策とは限りません。
なにしろ、人間を食って強くなるのは、現世の鬼達も似たようなもの。嘘や対人操作での搾取が上手くいった自己愛やサイコパスの人達は増長し、またその成功により勢力を拡大することだってあるのです。今すぐ鬼を倒す良い方法がないならば、または自分にとって負担が大きすぎるならば、食われないことを優先した戦略的な撤退や避難は、立派な戦い方の一つなのです。
現世の鬼の方が面倒だったりしないか
『鬼滅の刃』の世界では、鬼はもはや人間とは違う異形の者で、人を物理的に食うというその行為はわかりやすく絶対悪でした。だからこそ、主人公達が日輪刀で鬼の首をはねる行為にも大変説得力がありました。
しかし、現実世界の鬼達は同じ人間であり、刀で首をはねるなんて単純な共通解は、当然適用できません。その悪行の内容も個別に異なり、その認定にも注意深い検証と証拠集めが要求され、相手をするのは本当に骨が折れます。
物語終盤に登場した上弦の鬼達の中には、単純に首を落としても倒せない特殊な者が出てきましたが、現世の鬼は全員そんな風に、一体一体倒すためには個別の戦略が必要です。
現世の鬼達との戦いでは、肉体的に傷ついたり、すぐに命のやり取りに発展することは稀ですけど・・・相手をする上での面倒くささはハッキリ言って鬼滅世界の鬼達以上な部分があり、もし日輪刀で首を飛ばして解決するならば、そっちの方がよっぽどシンプル、そんな風にも感じてしまいます。まあ、比べてもどうしようもない部分なんですけどね。
『鬼滅の刃』から読み取る鬼にならない為のヒント
『鬼滅の刃』では、鬼になった者達と鬼を狩ることを選んだ者たちの間に、明らかに意図したと思われる心理・行動面での対比的描写が多く見られます。
次の記事では、この対比構造に表現されたメッセージを読み解きながら、自分が現世の鬼にならないためのものの考え方、育児における『鬼滅の刃』活用法を論じていきたいと思います。