努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

『鬼滅の刃』をいじめ・パワハラ・毒親への対抗指南書として読み解く(4)

f:id:KeiPapa:20210507202128p:plain

*****************
!ネタバレ注意!
この記事には漫画『鬼滅の刃』、映画『鬼滅の刃 無限列車編』、その他スピンオフ作品の内容や結末に関する記述が多数含まれています。未読・未視聴の方は作品を楽しまれてから本記事を読まれることをお勧めいたします。

また、本記事は『鬼滅の刃』を非常に現実的な視点から読み解いていきますので、『鬼滅の刃』のファンタジーとしての世界観が損なわれる可能性があります。『鬼滅の刃』のファンタジーとしての世界観を大切にしたい方は、ご注意ください。

***************** 

 

 

 

前回の記事では、『鬼滅の刃』から読み取れる、私達が現実世界の鬼である自己愛性人格障害やサイコパスと戦っていく為の心構えやヒントを見ていきました。

 

『鬼滅の刃』の世界では、原初の鬼・鬼舞辻無惨の血液を入れられることで、人間が鬼になります。では、鬼滅世界の鬼を他人を傷つけ搾取しながら生きざるを得なくなったパーソナリティ障害の人達のメタファーと見た時、鬼舞辻無惨のいないこの現実世界で人間を鬼に変えるものとは、一体何でしょうか?

パーソナリティ障害発症のリスク因子として、貧困や両親の不仲、親との死別、虐待、過干渉、愛着形成不全など、幼少期の生育環境、親の養育スタイルの問題が特に有力視されてきています。しかしこれまでの研究から、パーソナリティ障害には遺伝と生育環境、個々人の気質の違いなどに加えて様々な要素が複雑に関係していると考えられ、その発症メカニズムはまだよくわかっていません。

Personality_Disorder_in_Childhood_and_Adolescence_comes_of_Age_a_Review_of_the_Current_Evidence_and_Prospects_for_Future_Research

 

An-attachment-theory-conceptualization-of-personality-disorders


では、鬼はパーソナリティ障害のメタファーであるという観点から作品を見た時、『鬼滅の刃』はパーソナリティ障害の発症過程をどのように表現しているでしょうか?今回の記事では、『鬼滅の刃』が炭治郎達鬼殺隊と鬼達の対比構造の中に描いている、パーソナリティ障害の発症要因と私達が現世の鬼にならないためのヒントを読み解いていきたいと思います。

鬼殺隊士と鬼の対比構造で描かれるパーソナリティ障害の発症要因

『鬼滅の刃』に登場する主要なキャラクターには、一つ大きな共通点が見出せます。それは、皆が大きな不幸を経験しているということ。炭治郎や柱達鬼殺隊側であれ鬼側であれ、主だったキャラクター達の描写には、ほぼ間違いなく不幸な体験や生い立ちが絡みます。

愛する家族や仲間との死別は基本として(!)、家族を自ら手にかける、身寄りのない孤独な生い立ち、貧困や搾取、暴力、虐待に苦しむ劣悪な生育環境、生まれついての短命・病弱、好きな相手とすれ違い理解されず疎んじられる、信じていた相手に騙され裏切られる・・・一つだけでも十分すぎるような不幸体験なのに、時にはそれをいくつも抱えていたりするのが、鬼滅の刃のキャラクター達。

さらに『鬼滅の刃』をよく見ていくと、血縁関係や不幸エピソードについて共通点の多い対比的なキャラクターが、炭治郎や柱達と鬼側の双方にいることに気がつきます。

例えば、炭治郎&禰豆子の兄妹と上弦の鬼・妓夫太郎&堕姫の兄妹は双方とも早くに親を亡くし、貧しさの中不遇に見舞われながらも二人で支え合って生きてきました。縁壱と黒死牟は能力で子供を差別する父親の下同じ家で育った双子の兄弟です。善逸と獪岳も、小さな頃から身寄り無く生きてきたところ、同じ育手に拾われた兄弟弟子という関係。

産屋敷一族と鬼舞辻無惨、そして下弦の伍・累は短命、病弱という不遇な生まれ。また、蛇柱・伊黒と上弦の弐・童磨は、どちらも異常性を抱えた洗脳的・搾取的な家庭環境で育っています。そして、その他の鬼殺隊士と鬼達も、愛する家族や仲間との死別、時にはそうした相手を自らの手にかける経験を共有していたりします。

辛い経験や不幸な生い立ちは、炭治郎達も鬼達も似たりよったり。では、炭治郎達と鬼達の違いは、ただ鬼舞辻無惨に血を入れられたかどうかだけなのでしょうか?『鬼滅の刃』で炭治郎達と鬼達の間に見られる明確な線引き。それは、「困難な状況や苦しい境遇に陥った時の物の考え方」。心理学で言うところの、「防衛機制」のレベルです。

炭治郎達と鬼達を分かつ防衛機制の成熟度

失敗や理不尽な結果など、自尊心の低下を招いたり苦痛を伴ったりする状況は、大きなストレスを生みます。こうした受け入れ困難な状況(葛藤局面)のストレスを軽減し、対処していくために私達は「防衛機制」と呼ばれる心理機能を日常的に使っています。

防衛機制 - 脳科学辞典


葛藤局面でのストレスに対処するための防衛機制には、様々な種類があります。その数や種類は分類する研究者によってまちまちですが、防衛機制の中には現実への適応度の低い未熟なものと、現実への適応度の高い成熟したものが存在するというのは、広く受け入れられ概ね共通認識となっています。

例えばハーバード大学のVillaint博士は、防衛機制を成熟度別に以下の4段階へと分類しました。

  • レベル1-精神病的防衛(否認、妄想的投影、歪曲)
  • レベル2-未熟な防衛(行動化、退行、受動攻撃、取り入れ、シゾイド幻想など)
  • レベル3-神経症的防衛(置き換え、解離、合理化、抑圧、隔離、反動形成など)
  • レベル4-成熟した防衛(愛他主義、先取り、昇華、抑制、ユーモア)

 

レベル1の精神病的防衛は、その名の通り認知の歪みを伴う、異常性のある防衛です。例えば「否認」は認めたくない現実から目をそらし頑なに拒否することで精神の安定を図り、「歪曲」は自分の心が安定するよう現実を歪めて認識する防衛です。「妄想的投影」は、自分が感じている受け入れ難い感情や欲求を、「相手が感じていることで、相手の責任」と思い込むもの。

またレベル2の未熟な防衛には、葛藤局面のストレスが暴力や暴言、自傷、薬物依存、犯罪行為などの問題行動に転化する「行動化」や、フラストレーションを表に出さず黙ったり、無視したりして相手を困らせる「受動攻撃」、赤ちゃんや子供のような振舞いをする「退行」などがあります。

レベル3の「抑圧」は実現困難な欲求やトラウマ的な状況のストレスを避けるためにそれらを無意識下においやって「無かったことにする」防衛です。「合理化」はいわゆる「酸っぱい葡萄」で、実現困難な欲求のストレスを無理やり理屈をつけて解消しようとするもの。「置き換え」はいわゆる八つ当たりのことです。

このように、レベル1から3までの防衛は、直接的に自分や現実と向き合わず、他人を攻撃したり、他人に責任を転嫁したりして心の安定化を図る、自己中心的ではた迷惑で、社会不適応な代物を多く含んでいます。

一方、レベル4の成熟した防衛は、自分の不利益を厭わず自分以外の誰かの役に立つことで心の安定を図る「愛他主義」、受け入れ難い感情や欲求を社会的に評価される活動によって代替的に解消する「昇華」、受け入れ難い状況の痛みを予測して準備をする「先取り」、理性的に我慢をする「抑制」、辛い状況を笑い話として消化する「ユーモア」など、どれも自分自身や現実と向きあい、上手く折り合いをつけたり、負の感情や欲求を社会や他者の利益に変えるなど、社会適応的に心の安定を図る方法となっています。

防衛機制のレベルの観点から『鬼滅の刃』のキャラクター達を見ればもはや一目瞭然ですが、炭治郎や柱達は皆思いやりにあふれ、辛い現実や自らの弱さをきちんと受容し、負の感情を他人や社会のために昇華させながら前向きに生きる、レベル4の成熟した防衛の使い手です。

一方で人を食って生きる鬼は、自らの不遇を他人や社会のせいにしたり、安易に犯罪や暴力に訴えて問題解決を図ろうとしたりと、辛い現実に直面した際ほとんどの場合、レベル1~3の未熟で病的な防衛に頼っていることがわかります。

 

 

『鬼滅の刃』が描くパーソナリティ障害発症メカニズムのリアル

これまでの研究から、パーソナリティ障害を呈する人は未熟・病的な防衛機制の使用頻度が高いことが示されており、未熟・病的な防衛機制を多用することそのものが、パーソナリティ障害の症状に繋がっている可能性が指摘されてきています。

Personality_Disorders_A_Dimensional_Defense_Mechanism_Approach

 

Investigating_Correlations_Between_Defence_Mechanisms_and_Pathological_Personality_Characteristics

 

Defense_Mechanisms_in_Schizotypal_Borderline_Antisocial_and_Narcissistic_Personality_Disorders


『鬼滅の刃』でほとんどの鬼は、その性格的特徴が人間だった頃から変わっていません。半天狗は鬼になる以前から卑怯で臆病で嘘つきだし、 猗窩座は子供の頃からすぐに暴力に訴え犯罪に手を染めていました。

すなわち、『鬼滅の刃』においては、困難な状況で未熟・病的な防衛機制に頼ってしまう人間が強い鬼になっており、この構図は鬼滅世界の鬼が自己愛性パーソナリティ障害やサイコパスの特徴を表している点としっかり整合性があります。

また、鬼と炭治郎達の生育環境や血縁関係の共通点を描きつつ、防衛機制のレベルを使って鬼と炭治郎達の線引きをしている点から、『鬼滅の刃』は私達が「現世の鬼」である自己愛性人格障害やサイコパスになってしまう要因として、特に防衛機制の成熟度、辛い局面での認知と行動の重要性を強調していると考えられます。

しかし、『鬼滅の刃』で鬼になるのは、鬼舞辻無惨の血を入れられそれに適応した者です。「無惨の血」は作劇上のギミックとして非常に効果的に働いていますが、パーソナリティ障害の描写としてはどんな意味が見出せそうでしょうか?

鬼舞辻無惨は強い鬼を作るために、見込みのありそうな人間の所に現れて血を入れていきますが、神出鬼没であり、血を入れるかどうかもその場の思いつきの様であったりと、その行動にはあまり法則性が無いように見えます。

とすると、一番しっくりくる解釈は・・・「鬼舞辻無惨の血が入り適応する」というファクターは、パーソナリティ障害発症に関わる、未解明・その他の発症リスク要因を総合的に表現しているのではないかと。

最初に書いた通り、パーソナリティ障害の発症に関わる可能性がありそうな因子として遺伝、生育環境、防衛機制のパターンなどが知られていますが、単一または少数で発症を決定づけるような強力な因子は特定されておらず、どのような因子が複合することで決定的に発症に至るのかというそのメカニズムもまた、ほぼ不明といってよい状況です。

『鬼滅の刃』で鬼になっているのは、辛い生い立ちや境遇を経験する中で、未熟・病的な防衛機制に頼る傾向を持ち、鬼舞辻無惨の血を入れられ適応した者。そこで鬼舞辻無惨の血を不明・不確定なリスク因子として見れば、『鬼滅の刃』は遺伝、環境、防衛機制のパターンに加えて様々な要因が絡み合う、複雑かつ大部分未解明なパーソナリティ障害の発症過程を、単純化することなく注意深く描くことに成功していると考えることができます。

 

 

啓蒙とエンターテイメント性を超高レベルで両立した『鬼滅の刃』の傑作性

これまで見てきたように、『鬼滅の刃』の鬼には自己愛性パーソナリティ―障害や反社会性パーソナリティー障害の特徴が、発症リスク因子まで含めて緻密に描写されており、またそうした人の被害に遭わないための心構えや戦い方のヒントも随所に描き込まれていると考えられます。

しかし、『鬼滅の刃』から読み取れる啓蒙要素、いじめやハラスメント、毒親被害への対処に役立つ描写の数々は、どこまで意図して書かれたものなのでしょう? この漫画を読み始めた頃は、私自身もちょっと深読みし過ぎなのかなと、半信半疑なところがあったのですが・・・最後まで読んだ今、『鬼滅の刃』のプロットはそうした啓蒙要素を盛り込むために入念に計算されたものである、とほぼ確信しています。

私がそう思うに至った最大の根拠は、最終巻の裏表紙の袖に「あとがきがき」として書かれた吾峠呼世晴先生のメッセージ。

何百年も前の出来事も、その時は今でした。
今の出来事もまた何十年何百年経つと昔話です。
おじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんにも、
みんなと同じ子どもの時があり、その時と今は繋がっています。
そして、また自分も、大きな流れの中で同じように、
苦しいことつらいことを乗り越えて歳を重ねていきます。
もうダメだと思った瞬間こそが、
道を踏み外さないように踏ん張る時です。
困難な状況や苦しい境遇に負けないで欲しいです。
ですが、頑張りすぎてもよくないので、
適度にダラダラしましょう。
まっすぐ前を向いて、自分だけの幸せを見つけてくださいね。

     (出典:『鬼滅の刃』23巻 「あとがきがき」)

 

「もうダメだと思った瞬間こそが、道を踏み外さないように踏ん張る時です。困難な状況や苦しい境遇に負けないで欲しいです」

「まっすぐ前を向いて、自分だけの幸せを見つけてくださいね」

『鬼滅の刃』が、この一文にある。そう感じるほどに、『鬼滅の刃』という作品は、このメッセージに向けて徹頭徹尾構成されています。それに加えて、鬼を通じて描かれるパーソナリティー障害の描写の精緻さと整合性・・・特に週間連載であったことを考えれば、予め専門知識と綿密な計算無くこれほどブレない作品を描くことは不可能に近い、それが私の結論でした。

まあ、吾峠先生はどこまで事前に計算してプロットを組んだかなんて、生生しい話をするタイプの人ではなさそうですけど・・・どこまで計算していたかに関わらず、『鬼滅の刃』がファンタジー作品としてのエンターテイメント性といじめやモラハラ、毒親問題に関する啓蒙を超高レベルで両立した前代未聞の名作という点は、間違いのないことだと思います。

『鬼滅の刃』というパーソナリティ障害の問題啓蒙のための新しい「共有言語」

自己愛性人格障害やサイコパスという存在について社会への警鐘を鳴らす書籍やウェブリソースは、これまで沢山生まれてきました。

しかし、パーソナリティ障害というものを理解するには、自尊感情や愛着、防衛機制といった心理学分野の知識がどうしても必要です。また、パーソナリティ障害の人達の問題点を理解するためには、ある程度の社会経験と、自分自身の心理についての内省的理解、すなわち人生経験もまた必要になります。

よって、経験が浅く心理学分野の知識もない人に、自己愛性人格障害やサイコパスの危険性や対策法を説明するのは、中々難しいことでした。児童、特に小学生が相手ともなれば、それは絶望的でした。

今私達は、何の前提知識も持たない子供達相手に自己愛性人格障害やサイコパスの問題を説明できる、『鬼滅の刃』という道具を手に入れたと思います。「鬼滅の鬼みたいな人が実際にいるんだよ、社会に隠れて、人を食い物にする人間が」と言うだけで、パーソナリティ障害の問題を伝えることができるのです。

そして、炭治郎や柱達と鬼の比較をしながら、現実や自分と向きあう受容的な物の考え方の重要性を説明することができます。理由の説明なんてしなくても、それは炭治郎や柱達の「カッコよさ」として、子供達に自然と伝わるのです。吾峠先生の想いはこれから永遠に、『鬼滅の刃』として数えきれないほど多くの人に影響を与えていくことでしょう。

『鬼滅の刃』は自己愛性人格障害やサイコパスの危険性や、自分がそうならないための生き方を伝えることができる新しい共有言語。あるいは『鬼滅の刃』こそが、現世の日輪刀かもしれません。