努力する子の育て方

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子供にお小遣いはあげるべき?我が家のお小遣い教育戦略

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先日、ケイが買い物に行きたいというので一緒に行ってきました。近所のショッピングモールに入っている100均でおもちゃを買ったり、手芸店でペンダント用のチャームを買ったりするのが、彼の最近のお気に入りです。使うお金は、毎回ケイのお小遣い。小学生にあがった4月から、ケイには毎月お小遣いを渡しています。

「子供にお小遣いをあげる必要なんてない」という意見も、世の中当然ありますよね。検索すると、中には「お小遣いはあげるべきではない」という内容の記事も見つかります。

moneytimes.jp

まあ家庭の事情やポリシーはそれぞれあっていいと思いますけど、私はお小遣いを子供にあげないのは、大きな機会損失だと思います。だってお小遣いって、たかだか月々数百円で子供に「自分で考える、意思決定の訓練」をさせられる、コスパ最高の教育教材だと思うんですよね。

意思決定の教育教材、お小遣い

お小遣いが子供に教えてくれるものは何でしょうか?お金の大切さ、お釣りの計算、計画性など色々あると思います。でも、お小遣いから子供が学べる一番重要なことは何かと言ったら、それは「自由」というものの使い道と、「権限」と「責任」の関係性だと思うんですよね。

自分で考えて行動できる人間に育って欲しいというのは、たぶん全ての親に共通の願いだと思います。しかし、ずっと昔から指摘され続けている話ですけど、子供の「自分で考える力」の育成が弱すぎるというのが、日本の教育システムの最大の欠陥です。

日本の教育(特に義務教育)の基本は今も昔も管理教育なので、生徒に意思決定を任せるという、教員による管理の手間が増えるようなことは基本的に行われません。結果として子供達は、自由の中で自分の権限と責任を使ってどうするか、何ができるか考えるという訓練を、学校ではほとんどやらずに成長していきます。

例えば本来リーダーとして意思決定を任される立場の学級委員長や生徒会長といったものですら、日本の学校ではほとんどの場合、先生とコミュニケーションを取るだけのただの名誉職で、意思決定をしたり責任をとったりする場面はまず見られません。

でも、自由や権限は道具です。その使い方に慣れていなければ、上手く使うことはできません。特に、責任を取るのに慣れていないと、怖くて権限が上手く使えません。

子供に意思決定の自由を与える難しさ

しかし、学校でそういう教育が実践されないのは、ある意味当然なのかもしれません・・・というのも、子供に意思決定の訓練をさせるというのは、実際結構難しいのです。

子供に意思決定の訓練をさせるには、自由と権限、そして自分で責任が取れる機会までを丸ごと与える必要があり、このどれかが欠けても成り立ちません。

しかし、公的には、子供は元々自分で責任が取れる存在ではないのです。子供に権限を与えてもその責任は最終的に監督者にきてしまうので、子供が責任をとれるようにするシステムの構築は、この点で難しいのです。

子供が意思決定の責任を自分でとれる、お小遣いの素晴らしさ

こうした自由と権限、責任の関係性を踏まえた意思決定プロセスの重要性を子供に教える上で、お小遣いというのはとても都合が良い教育教材だと思います。まず、お金というのは子供でも大人と全く同じように使える、非常に強力な権限です。使い道も実に様々で、自由度が高い。

しかし、お小遣いであればその額はこちらでコントロールが効きます。いきなり大金を子供に与えたらとんでもないことも起こりかねませんが、100円くらいの少額だったら、そんなに大きな失敗はそもそも引き起こしようもありません。

ミソは、たとえ少額の、社会における実効的な影響で言えばごく軽微な金銭であっても、小さな子供にとっては大きな価値があるということです。100円で手に入るものは、小さな子供にとっては宝物です。だからこそ、100円を失った時のショックもそれは大きなものになるでしょう。

従って、大人から見れば大したことはない金額のお小遣いが、子供にとっては大きな価値で、大きな権限、大いなる自由に感じる、このギャップが、小さなリスクと投資で大きな教育効果を生んでくれる、お小遣いのマジックです。

さらに、お小遣いは子供にとって非常に大きな「考えるモチベーション」になります。自分であれこれ考えるのが元々好きな子とそうでない子がいるんですけど、お小遣いの使い道というのは、多くの子供にとって考えていて楽しい問題で、子供の思考、そして行動を刺激してくれる存在だと言えます。

 

 

我が家のお小遣い教育で気を付けていること

とは言え、やはりただお小遣いをあげているだけでは、自由の使い道、権利と責任の構造を子供に教えることはできないと思うので、我が家ではお小遣いを通して子供に意思決定を学ばせるための、基本的な方針を作ってあります。

まず、場当たり的にルールを作ったり変えたりしたのでは子供が自分で考えなくなってしまうので、きちんと「お小遣い契約書」として全てのルールを最初に明文化し、年度始めに親子でサインをすることで、子供がルールに則り、自分で考えてお小遣いを使っていける仕組みにしています。

お小遣い契約書の作成には、この弁護士パパさんの作ったものはとてもよくできていて、大変参考になりました。


盛り込んだルールの中で一番大切なのは、やはり、子供が自分のお小遣いを何に使っても良いという権利の保障です。これに伴って親側には、子供が自分で決めたお小遣いの使い道には決して口を出さない覚悟が求められます。

しかし、お金の使い道を自分で考えて実践し、その結果を評価するという一連のプロセスは、お小遣いを使った教育の一番大切な所です。そこに親がいちいち口を出したら、子供は自分で考えて意思決定する訓練を積むことができません。

ケイは100均で本当にしょうもない(と親には思える)おもちゃを欲しがったりすることも多々ありますが、自分のお小遣いを使う分には、完全に自由にさせています。買ったおもちゃがすぐ壊れたり、すぐに飽きがきてしまったりしても、そこからケイが有効なお金の使い道を学んでくれることを信じて、じっと見守っています。

お小遣いの使い方は自由にさせる一方で、トラブルの発生を防ぐためのルールもいくつか盛り込んでいます。特に気を付けているのは、友達との金銭の貸し借りやおごりおごられ、お小遣いをもらっていることを外で吹聴しないことなど、家の外でのお金のトラブルに発展しやすい穴を、その理由も説明しつつ、きちんと塞いでおくことでしょうか。

またお年玉の扱いや、おじいちゃんおばあちゃんからのイレギュラーな子供名義の入金に関しても、子供が自由に使える分は親が決めて、残りは子供名義の貯金に回すという項目を前もって作っておきました。おじいちゃんおばあちゃんからの臨時のお小遣いは実際に発生しましたが、契約書の内容を確認することで事なきを得ました。この項目は作っておいて正解だったと思います。

そして、契約書に書いた約束が守れなければお小遣いは差し止めるという点をしっかり確認し、我が家のお小遣いシステムに付随する権利と責任の構造を子供に理解してもらいます。

お小遣い制 vs お手伝い報酬制

毎月一定額が必ずもらえるお小遣い制ではなくて、お手伝いをしたり、何かを頑張ったりしたらその報酬としてお金を渡すシステムのお家もありますよね(上でリンクした記事の人は報酬制にしているみたいです)。どちらが正解というのは無いんでしょうけど、我が家の方針としては、お手伝い報酬性にはしたくありませんでした。

大きな理由は、家を子供の完全な安全基地にするために、家庭内でするお手伝いに対価の概念を持ちこみたくなかったということ。親子や家族という無条件の愛情が基礎として重要な関係性に、労働と対価という「条件付きの関係」を混ぜ込みたくありませんでした。

社会では労働の対価として報酬を得る関係が当たり前ですが、お手伝いは家族の一員だからこそするもの。そうやって社会と家を「全く違うもの」にしておく方が、子供の家庭や家族への無条件的な帰属意識が高まって、社会で子供に何か問題が起こった時に、子供が安心して家を安全基地として使えるだろうと思います。

子供が家を安全基地としっかり認識してくれた後ならば、将来的にそういう報酬制のオプションはあってもいいとは思うんですけどね。いきなり最初からそれをやって、子供が家族の関係にすら対価を考えるようになるのは嫌でした。

2年間お小遣いシステムを運用してきた経過

そんなこんなで、ケイがお小遣いをもらうようになってそろそろ2年になります。最初はお金の使い方がいまいちピンときていなかったケイも、最近は親の買いものに自分の財布を持ってついてきて、100均や雑貨屋でのショッピングを楽しんでいます。

また、お小遣いを使ってゲームの課金を(スマブラのDLCキャラを購入)するというのも、やり始めました。親としては、お小遣いをゲームに課金するというのは経験がないので少々慣れませんが・・・まあ時代の流れだし、価値観は人それぞれだし、何事も経験ですからね。

なけなしのお小遣いを使ってまで欲しいと本気で思うなら、それがゲームのキャラクターでも良いと思います。その実体の無さに気づいてむなしくなったりする日が来るかもしれませんが、それが良い学びになるのでしょうから。失敗しても数百円、それがお小遣いのいいところです。

ケイのお小遣いの使い道として面白いなと思ったのは、学校での募金活動に、自分のお小遣いから募金をしたいと言いだすことです。募金に関しては、ケイが何に募金するか、どうして募金するか自分の言葉で説明できるかどうかも含め、募金の内容を親も一応確認するようにしています。周りに流されて募金するのでは自分の意志でお金を使っていることになりませんし、人の善意につけこむ募金詐欺みたいなものも世の中ありますから、一応ですね。

ケイの同級生にどれくらいお小遣いをもらっている子がいるかはわかりませんが、これまでのところ同級生の間でお金の話をしたりして、トラブルになりそうな予兆というのも無いようです。

子供のお金の使い方を楽しみに見守る

ケイとの間で交わしているお小遣い契約書では、毎年少しずつお小遣いが上がっていく約束になっているので、学年が上がると少しずつ、段階的にお小遣いの使い方の自由度も増していくことになります。

お小遣いをもらうようになってから、ケイは色んなところで物の値段を気にして見るようになってきたと思います。自分の今の資金で買えるかどうかを基準に、高いとか安いとか話をしたりもします。

今は100均で買い物するくらいが丁度いい感じですけど、そのうちまとまったお金が手に入るようになったら、ケイもお金の使い方を色々考えるようになり、その幅も広がっていくのでしょう。自由や権限も道具ですけど、お金というもの自身も立派な道具で、その使い道にも創造性というものは表れると思います。

私自身は、お小遣いはただ貯金しておくだけの、お金の使い方に関しては創造性の欠片もない子供でしたが・・・ケイはどんなお金の使い道を発見していくことができるのかなあ、そんな風に考えていると、毎月数百円のお小遣いをあげるのが、親としても結構楽しみなのでした。そう考えるとお小遣いは、毎月数百円で子供を教育しながら親も楽しめる、中々の優良コンテンツではないかと思います。