努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

うちの子(5歳)が「死の運命」を悟った時のてんやわんや

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「お父さん、太陽がおじいちゃんになったら、どうなるの?」

ケイの幼稚園年長がもう始まるかという春休みのある朝、5歳のケイから投げかけられたこの質問に、私の対応は軽率でした。

「年をとると太陽はどんどん大きくなるよ。いつか地球も飲み込まれちゃうね」

私の頭には、この少し前にケイが見ていた、ディスカバリーチャンネルの番組が思いだされていました。宇宙や太陽系の成り立ちについて、CGを使ってわかりやすく解説している番組です。

ケイはこの番組が気に入ったようで、太陽フレアの話や、地球や月がどうやって生まれたかなどの内容をよく覚えており、親に話してくれていました。太陽が将来的に膨張し、惑星を飲み込んでいくということも、番組の中で説明されていたのです。

だから、この間の番組の話がまたしたいんだな、程度の軽い気持ちでの応対でした。そして、ケイの質問が続きます。

「そしたら、地球はどうなるの?」

「太陽はすごく熱いから、地球も燃えてなくなっちゃうだろうね」

「じゃあ僕たちはどうなるの?」

おう・・・答えづらい質問。別に意識して避けてきたわけではないのですが、人間の死の話は、それまでケイとしていませんでした。近しい人の不幸も、幸いにしてケイはまだ一度も経験していません。いつかはそんな話をするタイミングもくるのでしょう。けれど、ケイにとっては春休みとはいえ、大人にとってはただの平日の朝。いきなりそんな重たい話を始めようと思うほど、私もフットワークの軽い人間ではありません。

「それはもうずっと先のことだけど、地球がなくなったらもう人間は住めないね」

とにかく「死」の話にだけは流れていかないように、頑張って配慮したつもりの回答でした。

50億年後の弟の命運に涙する5歳児

「地球がなくなったら、どこに住めばいいの?」

ケイの質問は続きます。

「宇宙には地球みたいな別の星があるらしいから、ロケットでそこへ行けばいいんじゃない?」

決して嘘にはならないように、希望が見出せる内容にという必死の努力。とにかく死の香りがする方向に行くと、ケイの不安を煽って薮蛇になる可能性を強く感じていました。しかし、この日の蛇は薮ではなく、ロケットの中から飛び出してきたのです。

「ロケットって、赤ちゃんも乗れる?」

「うーん、今のロケットだと乗れないかもね」

この回答に、ケイの表情がみるみると曇り、そしてついには、泣きだしました。あわてて理由を尋ねると、

「じゃあ、ちーちゃんはどうなるの」

ちーちゃんとは、当時まだ1歳になっていなかった、ケイの弟です。

「ちーちゃんと別れたくない・・・ずっと一緒にいたい・・・ちーちゃんと・・・」

脱出ロケットに乗れないであろう弟との別れを想像して、ボロボロ泣いているケイの想いに、思わずぐっときました。しかし、とにかくケイを落ち着かせてこの場を収めるために、早急にこの話題を抜け出さなければなりません。なんせ、太陽が地球を飲み込むのは50億年後の未来の話です。もはや口が裂けても言い出せない状況ですが、今地球上にいる人間は、誰も生きていない未来の話です。だから、そんなことで泣かないで。

「ケイが、赤ちゃんも乗れるロケットを作ってあげて?」

50億年後の話だとかはもう気にせずに、とにかくこれ以上地雷を踏まないように、ケイの不安を焚き付けないように、希望を持たせて話題を終わるつもりでした。しかし、ケイの質問が止まりません。

「・・・地球みたいな星は、宇宙のどこにあるの?・・・」

ああ・・・お願い助けて・・・もうこれ以上追及しないで・・・と祈るような気持ちで、

「それはまだ、見つかってないんだ。でも、宇宙のどこかに地球そっくりの星があるって言われてるよ」

そう答えると、ケイはその後は特に何も言わず、次第に泣き止みました。すでに時間は家を出なければならない時刻。「泣く必要ないよ、大丈夫」と半ば強引に会話に幕を引き、私は家を後にしました。ケイは悔しくて泣いても、怒られて泣いても、後にはまったく引きずらない性格です。きっと夜帰宅した時には、いつも通りの笑顔が戻っているはず。そう信じて。

 

 

唐突に始まった地球滅亡の話、第二幕

その日帰宅すると、ケイはテレビを見て笑っていました。よかった、いつものように引きずらないケイだった。晩御飯を済ませ、お風呂に入り、ケイを着替えさせて寝る準備をしていると、それまで何気ない会話をしていたケイから、突然質問が飛んできました。

「ねえ、太陽がおじいちゃんになったら、僕たちは死んじゃうの・・・?」

えっ・・・とケイを見ると、すでに涙がこぼれている・・・。いつもは全く引きずらないケイが、こんなに長い間一つの話題に固執して繰り返し泣くのは、尋常なことではありません。そして、どういう過程をたどったかは知りませんが、ケイは地球の消滅と人間の死を、すでに結びつけてしまっていました。

「大丈夫、死なないよ」そう言えたらどんなに楽でしょう。しかし、ここでそんな嘘をついても、問題が先送りになるだけ。そして、嘘をついて問題を先送りすればするほど、事実を知った時にケイが受けるショックは増していくことになります。

そしてそもそも、ケイはこちらの回答を予測しているからこそ、すでに泣いてしまっているのです。「死なないよ」と変に誤魔化したら、当然その根拠を「なんで?」とケイに問いただされます。逃げ切れる気はまったくしません。正直、どうすればいいのかわからず、とにかくケイが今心配して泣く必要はないことを伝えようと、ひねりだした回答がこれでした。

「そうだね。でも、地球がなくなるのは50億年も先の話だから、今心配しなくてもいいんだよ」

私の言葉に、ケイは泣きながら、質問を続けます。

「50億年先っていつ?」

この時のケイは、千、万という大きな数字がある、くらいのことしか理解しておらず、50億という数字は当然理解できません。というか、50億年なんて、大人の自分だって理解できない悠久の時です。

「とにかく、すごい長さだよ。地球が生まれてこれまでよりも、長い時間だよ。だから、みんなすぐには死なないよ。心配しなくていいんだよ」

とにかくケイを安心させたくて、でも人間の寿命の話には持っていきたくなくて、半ばパニックの父親。ケイはそもそも「いつかその時が来る」ということを心配しているので、親がどれだけ「ずっと先だから」と言ったって、なんの慰めにもならないのです。もちろん、ケイの涙は止まりません。

「いやだ・・・死にたくない・・・太陽がおじいちゃんになったら、みんな死んじゃう・・・」

そう繰り返しながら、ずっと泣いているケイ。「太陽がおじいちゃんになったら」という心配が頭にこびりついて、どうしようもない様子です。何度「太陽がおじいちゃんになるのは50億年先、すごく先のことだから」と言っても、当然らちがあきません。「太陽がおじいちゃんになる前に、みんな死んじゃうから大丈夫」なんて、もちろん口が裂けても言えない、苦しい状況です。

50億年の長大さを5歳児に説明する愚行

ずっと泣いているケイを見ているのは本当に心苦しく、一体どうしたら良いのか、途方にくれました。そして、次に私がとったのは、「50億年がどれだけ長い時間か、ケイにわかるように説明を試みる」という戦略でした。

「50億年というのは、本当に長い時間なんだよ。ケイは、1万って数字はわかる?」

「わかる」

「50億っていうのは、1万がさらに1万個集まっても足りないほど大きい数字だよ」

・・・明らかにピンときていないケイ。説明が伝わらないことに焦った私は、まず1万年がどれくらい長い時間かを説明しようと、1万年前の地球の話を始めました。1万年前の地球は今とは全く違う世界で、氷で覆われていて、マンモスと人間が戦ったりしていた。車も当然走っていないし、自転車だって無かった。1万年という時間は、それだけ長い時間だ、と。

50億年は、その1万年よりもっともっと長い。だから太陽が地球を飲み込む日のことは、心配する必要なんてない。それをわかって欲しい。・・・すると、ずっと泣きながら聞いていたケイが、しばらくぶりに口を開きました。

「・・・1万年前の人間は、どうなったの」

あー・・・。自分が墓穴を掘ったことだけは、瞬時に理解できました。そこに食い付かれたら、もう人間の寿命の話をする流れは避けられません。そして、もはや太陽の話とは関係なく、人は皆いつか死ぬという残念な事実に、ケイが到達することは、避けられません。もうこれ以上、寿命の話を避けて通ることはできない。これはもはや事実を伝えて納得してもらうしかないと、腹をくくりました。

「1万年前の人間は、もういない」

「なんで」

「人間は1万年生きられないから」

「なんで」

「なんでかは知らないけれど、人間は100年くらいしか生きられないんだ。そういうものなんだ」

「・・・なんで・・・」

一度止まりかけたケイの涙が、再び両目いっぱいあふれます。そして、

「僕は1万年、生きたかった・・・」

なんだかすごい罪悪感。しかしこうなったからには、もはやケイを慰めるしかありません。100年だって、ずっと長い時間だよ。ケイはまだ5年しか生きてない。100年は、本当にすごい長い年月なんだよ。そんなに心配する必要ないんだよ・・・。

しかし、私の言葉へのケイの反応は薄く、「1万年生きたい」「死にたくない」と泣きじゃくりながら、いつしかケイは寝落ちしてしまいました。もはや希望らしき希望は、眠くなると機嫌が非常に悪くなるというケイの性質くらいしかありません。この騒動も、ケイの眠気のせいであって欲しい。一晩寝たら、いつものケイの笑顔が戻っていてくれ。そう願わずには、いられませんでした。

2度あることは3度ある。そして3度目の正直

昨晩の説得の手ごたえのなさに戦々恐々とする私をよそに、翌朝のケイには、それほど変わった様子もありませんでした。もしかしたら、納得してくれたのかな?寝たらそれほど悲しく感じなくなったかな?と色々考えつつ出勤し、帰宅すると・・・まず目に飛び込んできたのは、またさめざめと泣いているケイの顔。

妻が寄ってきて「今日はずっと、思いだしたように繰り返し泣いている」と心配そうに状況を伝えてくれます。ケイは昨晩と同じように「1万年生きたかった・・・死にたくない・・・」と言いながら泣いていました。

もう3日も泣いていて、時間が解決してくれる問題なのかが、怪しくなってきました。なんとかケイに泣きやんでもらうことはできないものか・・・。そう思案した結果、今回はこれまで「怖くない、心配しなくていい」と言っていたのを改めて、生きている時間の長さよりも、大事なことがあるという線での説得を試みました。

「ケイ君はずっと泣いているけど、これからも泣きながら生きていたいかい?」

「いやだ・・・」

「人間の寿命が100年ぽっちなのは、仕方ないんだよ、生き物だから。運命だから」

「でも、僕は1万年生きたかった・・・」

「そうだね。でもね、生きた時間の長さよりも、どれくらい楽しく過ごせたかの方が大事なんだよ。もし1万年生きられても、ずっと泣いて過ごしていたら、楽しくないよ。短い時間でも、笑って過ごせたら楽しいよ。そうでしょ?」

「・・・そうだね・・・」

「100年でも、ずっと笑って過ごせたら、ものすごく楽しいよ。それに、100年って本当に長い時間だよ。お父さんはまだ三十数年しか生きてないけど、これまでずいぶん長い時間生きてきた気がするよ」

「・・・」

「ケイ君の100年も、絶対楽しいよ。だから泣くのはやめて、笑って過ごそう?」

「・・・うん、そうだね・・・」

正直かなりゴリ押しな感じだったので、またケイがいつ泣きだすか不安でしたが、結果としてこの会話を境に、ケイが「1万年生きたかった」と泣き出すことはピタッと止みました。

子供が死の概念を理解するのは何歳か

この騒動のあと、死の概念に対する子供の理解の発達について調べました。各国で実施された研究の結果からは、ばらつきはあるものの、5歳くらいでは死の概念の理解はかなりあやふやで、死の普遍性や不可逆性をしっかり理解できるようになるのは、大体10歳過ぎからという説が一般的なようでした。

そうすると、身近な不幸の経験がなくても5歳で自分の死の運命を悟り、死の普遍性や不可逆性を理解していたケイは、やはり少し認知発達が早かったのかもしれません。ケイの発達凹凸とも、もしかしたら何か関係があるのかなと考えたりもします。目にした研究の中には、子供の死の概念的理解と知能の高さに関係性を認めた報告もありました。

正直、この件に関する私の対応は色々と後手後手に回った感が強く、もっとケイの涙を見ずになんとかならなかったか、と反省もしました。人間の死や寿命について、嘘をつくのは後々のことを考えて絶対に嫌だったので、つまるところ、時間の長さの理解がおぼつかない幼児に対して、テレビで見た内容とはいえ将来的な地球消滅の話を軽々しく出したのが良くなかったと言えます。そして、ケイの想像力がこちちの想像のだいぶ上をいっていたのが、大きな誤算でした。

しかし、人間の寿命や死、そして必ず訪れる別れの話は、子供の自立を考えて、いつかはしなければならない話です。そして、いつしても冷静に話すことは難しい、悲しい話です。だから、この件で沢山の涙を見たとはいえ、人間の死の運命と、それでも前向きに生きていくという考え方について、少なくともケイが泣かずに考えられるように準備ができたことは、良いことだったのではないかと感じています。

ケイが決して口にしなかった疑問に見る、残された地雷

ケイが地球滅亡と死の恐怖に苛まれた3日間で、決して口にしなかったこと。それは、「お父さんとお母さんも、いつか死んじゃうの?」です。正直、この質問がいつ飛んでくるのか本当にビクビクしていました。嘘をつきたくはないので、当然これにも正直に答えたでしょうが、ただでさえ泣きじゃくっているケイが、その結果どうなってしまうかは想像するだけで恐ろしかったです。

結局、ケイはこの質問はしてきませんでした。しかし、ケイの頭にそれが全く浮かばなかったとは、とても思えません。話の中で、死は皆に平等に訪れるということをケイは間違いなく理解していましたし、実際に、「おじいちゃんとおばあちゃんも、100歳になったら死んじゃうの」という質問は飛んできました。

「まあ100歳ぴったりかどうかは知らないけど、人間の寿命はそれくらいだからね」と答えながら、次はお父さんお母さんかな、と非常にドキドキしたのです。しかし、ケイの質問はそこから踏み込んではきませんでした。

ケイの論理的推定が行き届いた範囲からすると、「親もいつか死んでいなくなる」という事実にケイがたどり着いたのは、おそらく間違いないと思います。けれど、その事実はたぶんケイには悲しすぎて、口にすることができなかったのであろうと推測しています。

つまり、「子供は親といつか死に別れる」という事実に関しては、下手をするとまたケイが何日か号泣するきっかけになる火種として、まだ残されている可能性が高いと考えられます。ケイの成長にともなって、自然と解決されていく問題なのかもしれません。しかし、気軽に地球消滅の話をしたばかりに、ケイを3日泣かせるはめになったのと同じ轍を踏まないようにだけは、今後とにかく気を付けていこうと思ったのでした。