努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

うちのギフテッド児、リレー、そして涙の運動会

 

 

 

10月になっても暑いのが当たり前みたいになってきて、「残暑」という言葉の使い方が難しくなってきたなあと感じる今日この頃・・・まだまだ衰えない日差しを物ともせずに、先日、長男ケイの小学校で運動会がありました。

今年はコロナ禍下で3度目の運動会。そういえば、去年はどんな記事を書いたんだっけと自分でブログを読み返しにいくと、なんと去年は運動会の記事を忘れていて(!)何も書いていませんでした。

まあ、ケイが4年生だった去年の運動会も学校を低学年、中学年、高学年と3分割しての分散開催で、ダンス、徒競走、団体競技と演目的にも一昨年と変わらなかったので、あんまり目新しいところはなかったのですけど・・・。

 



小学校も運動も大好きなケイはもちろん大張り切りで参加し、周りの子に比べても明らかにキレキレのダンスパフォーマンスとスタートから全員ごぼう抜きの徒競走などでそれなりに目立っておりました。

で、先日行われた今年の運動会はというと・・・開催形式こそ一昨年、昨年と同じ分割開催でしたが、一つ大きな変更点が。それは、ここ2年間は行われなかった選抜リレーの復活でした。

リレー選手の選抜過程に感じる「高学年」

夕食時、「そういえば今年の運動会はどんなことをやるの?」とケイに話をふったところ「今年はリレーが楽しみ」との返事で判明した選抜リレーの実施。

聞くと、どうやらリレー選手は立候補制だったらしく、足に自信のあるケイは「もちろん立候補した!」と意気揚々。

選手の選抜プロセスについてさらに詳しく聞いてみると、立候補した人数が出場できる人数を上回った時には走ったタイムで選抜をするけれど、今回は最後まで立候補者数が足りなかったので、タイムの選抜は無かったという話。

低学年ではこぞって皆がやりたがる選抜リレーの選手が定員割れするあたりに、10代、高学年の心の成長を感じます。まあ、恐らく何の逡巡もなく立候補したであろうケイだって、それはそれで大変頼もしいのだけど。

そういえば3年前、ケイが2年生の時の運動会でリレーに選ばれた生徒たちに性格傾向の偏りを感じたこともあったけれど・・・高学年になってさらに選抜プロセスが立候補ということになれば、リレー選手にみられる性格傾向にも当然影響はあるだろうと思ったのでした。

何度目かの、涙の運動会

5・6年生の2学年合同で行われた今年の運動会、高学年しかいないので、やはりもうわちゃわちゃしていない、スムーズな競技の進行でした。

ケイは徒競走で危なげなく1着を取り、リレーでは友人たちの大きな声援を浴びながら全力で駆け抜けてチームの2位に貢献。

毎回、とにかく転んだりバトンを落としたりといったアクシデントが無いようにと祈っていますが、今年も何事もなく無事に走りきれてほっとしました。

その他、大玉転がしや障害物走リレーみたいな団体競技にも、ケイは真剣な面持ちで取り組んでおりました。

そして迎えた閉会式・・・最終得点が発表されると、ケイの白組はライバルの紅組に及ばず、残念ながら優勝は叶わず。

そしてケイは、なにやら空を見上げて、一人静かに涙を流していたのでした。

 

 

昔から、とにかく激しい

帰宅後ケイに閉会式で泣いていた話をふると、「やっぱり勝ちたかったから涙が出た」と言っておりました。

学校の運動会で優勝できずに泣くというのは、私たちからするとやはり「そんなに?」と感じる話。

ケイのクラスメイト達を見ても、最後に泣いている子はやっぱり見かけませんでしたしね・・・。

まあしかし、幼稚園の運動会ではリレーでチームが負けただけで物凄い大号泣だったので、小学生になってかなり落ち着いてきているといえばそうなのだけど。

本当に早いもので、ケイは来年6年生で、最終学年。小学校の運動会も最後になるわけですが・・・最後となれば思い入れも強くなるわけで、勝敗に対する一喜一憂もこれまで以上に大きくなるわけで。

もし負けたなら、ケイは絶対泣くんでしょうね。約束された未来。

まあ、こういう感情の振れ幅の大きさは悪目立ちする部分もあるけれど、人間が成長していく上では大きなエネルギーになる個性。

だから、変に抑え込まずに見守るしかないとは思うんですが・・・一人だけ泣いているケイを見ると、やっぱりハラハラしてしまう。

運動会で負けて流れるケイの涙を見るたびに、感じ方の大きく違う人間同士が理解しあうことの難しさというものを、痛感させられるのでした。