小さな頃からユニークかつマイペース過ぎて、小学校で周囲に馴染めるのかが甚だ疑問だったうちの長男ケイ。
まあやはり色々とトラブルはありつつも、それでも当初の心配は杞憂であったと言えるくらいには学校への順調な適応をみせていたケイだったのだけど・・・6年生になった今年度早々に「授業がつまらない」問題が勃発したのでした。
これまでの様子からすっかり安心していたところだったので、面食らった部分が大きかったのですが・・・まあ彼もそろそろ思春期で、第二次反抗期で、大人の階段を昇る変化の時期。
何もかも今まで通りなど当然ありえないのだ、と少々平和ボケしていた自分に気合を入れ直しつつ、とりあえず問題解決に向けてケイとよく話し合うことになりました。
子どもから聞いた学校での詳しい状況
前回の記事でも書いた通り、「最近は授業中に本を読んで時間を潰している」というケイの一切悪びれない近況報告が発端で明るみに出たこの問題。
ケイからは、もうわかっている内容を授業でやるので、知っている話だと思ったら本を読んでいる、先生には別に相談はしていない、という状況説明がありましたが、先生の方はどういう認識なの?ということでケイからクラスの状況を聞きました。
すると、クラスで読書をしているのはケイ一人だけのようで、別にクラス全体の統制が無くて崩壊しているわけでは無い様子。
そして、先生の方もケイの読書は気にかけているようで、「今授業中よ?」的な声掛けは一応してくるということでしたが、別に読書を止めさせようと強く注意されたりすることは無いという話。
ケイが非常に好奇心旺盛で、大の勉強好きで、算数は終わって中学の数学まで学習が進んでいたりすることは最初から先生に伝えてあります。
なので、多分先生はケイが聞いていなくても内容を理解できていることや、勉強したくなくて授業に参加していないわけではないというのは理解しつつ、クラスの統制を保つために中途半端な声掛けをしている、という状況だというのが推察されました。
「個別最適」を目指す令和の教育の後押し
私が学校に通っていた昭和~平成の時代だったら、こんな時には「みんなと同じように今は授業を聞く時間」「先に終わったら少し待っていて」みたいな指導がまかり通っていたのだけれど・・・もう今は、そんなの時代遅れなんですよね・・・。
なにせ時代は「個別最適な学び」。文科省は令和の日本型学校教育の形として「個別最適・協働的な学び」の実現を目標に掲げています。
「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)(中教審第228号) 【令和3年4月22日更新】:文部科学省
さらに昨今は「特異な才能を有する児童への教育支援」の観点からも、この「個別最適な学び」を実現するための学校運営の重要性が一層強く指摘されるようになってきました。
従って、授業中に暇を持て余して違うことをやっている子供に対して「みんなと同じようにしなさい」「みんなが終わるまで待っていてね」と言わずに上手くやるのが、令和の先生に求められる資質、腕の見せ所というわけです。
子どもに伝えたこと
というわけで、昨今の学校教育の在り方の議論の流れ的に、先生側にケイへの上手い対応を要求するだけで、この問題は解決できそうな感じはしましたが・・・それはなんだかちょっと、もったいない感じがしました。
なんせこの問題は、今後のケイの学校生活でまたそのうち起こり得ること。先生側に全部の対応を要求するのではなくて、ケイ側で環境に上手く適応する発想を持つこともとても重要です。
そこでケイには、先生と一緒にこの問題の解決法を見つけていくためのポイントを二つ説明しました。
一つ目、一番大切なことは、ケイには授業時間中に暇を持て余すことなく学校で学ぶ権利があり、学校にはそういう授業運営が求められているということです。
ケイが暇にならないように工夫するのは学校の先生に必要なお仕事なのであって、ケイがその状況改善を求めることは正当な権利だということを説明しました。
次に説明したのは、ケイには暇な授業に出ないという選択肢もあり、従って授業に出るのならば授業に参加する義務があるという点です。
授業が暇で退屈ならば、別にその授業を無理に受ける必要性もありません。「特異な才能を有する児童への教育支援」の議論で必要性が確認されてきたのはそういうレベルの柔軟性だし、実際ケイは家と塾で勉強しているからこそ学校の授業の内容がもうわかってしまっているのだし。
なのでケイには、こう言いました。暇だというなら別のところで別のことをやったっていいんだよ。最近の学校ではそういうのもアリになってきたから、それが良いなら一緒に学校側とそう交渉しよう。
だから、それでもなお授業に出るというのなら、授業に参加せず暇だと言うのはフェアじゃない。
具体的には、先生が授業中用意した課題を終わらせずに暇だと言って本を読むのはNGだ。もしも授業に出る選択をするのなら、授業中の課題は全部終わらせた後で読書をしなさい。そうじゃないと辻褄が合わない、と。
その後の様子
そんな話をすると、ケイは「学校で友達と一緒に授業を受けたい」と言いうので、「それなら授業中の課題は全部終わらせて、先生に一言他にやることは無いか聞いて、それで何もなければ読書したらいい」「先生には、どんな課題があれば読書しなくても過ごせるか説明してごらん」とアドバイスをしました。
その後、どんな様子かケイから定期的に情報収集していますが、彼の口から聞く限り状況はかなり好転してきている模様です。
ケイの方は「授業がつまらないなら無理に出る必要無いんだよ」というのをよく考えたようで、ちょっとつまらないから本を読む、みたいなことは減ってきた様子。
「1+1の授業だって考え方次第で楽しめるよね」なんて言い始めたので、知っている内容の授業の楽しみ方を自分なりに模索するということも、これまでより積極的にできるようになってきたみたいです。
先生はケイのやることが無くなったら追加のプリント課題を出してくれるようになったみたいだし、そもそもやることが無くならないように演習の出し方を工夫したり、一方的に聞くだけではない工夫した授業も増やしてくれている様子。
もちろんこういう授業の工夫は今の先生に普段から求められていることなので、ケイ一人への対応としてやってくれているわけでは決して無いのだと思います。
でも、ケイみたいなちょっと珍しいタイプの子がクラスにいることで、生徒の多様性、個別最適を意識した授業をする意味、良さが先生にもより良くわかるんじゃないか、なんてことは思うんですよね。
柔軟な学校教育の価値を実感
・・・というわけで、ケイの「授業がつまらない」問題は発生からひと月くらいで、かなり円満に終息を見たのかな、という感じです。
まあケイは本当になんでも楽しんでやる子なので、その特性が問題解決の大きな助けになっていると思いますし、これからケイが中学、高校と上がって社会に出ていく上でも、きっと大きな武器になるなと感じます。
自分がやりたい事をやるために、ちょっと我慢したり、やり過ごしたり、苦労したりすることって、大人になっても本当に多いですからね・・・。それを楽しむ考え方ができるというのは、大事な能力だと思います。
まあでも、そういうのを上手くやっていく能力を身に着けるためには、自由に色々選択肢がある中で自分で考えてポジションや行動を選ぶ経験というのもまた必要で。
その点、令和の学校教育改革はいい方向に行っていると実感できた、今回のケイの"騒動"でありました。