先日、東洋経済オンラインで、文部科学省の「特異な才能児童~有識者会議」がまとめた新規事業についての特集記事が公開されていました。
有識者会議のメンバーであった関西大学・松村暢隆先生への取材を下に要点を端折らず書かれており、これまで世に出たメディア報道の中では一番まともな、誤解のない内容だと思います。
さて上記の記事でも、
しかし、突出した才能といっても幅が広く、理数系というふうに学問分野を限定できないし、IQだけで才能の程度を測れるわけでもありません。
というような松村先生の説明が何度も出てくる通り、これまでの「特異な才能児童~有識者会議」の議論の中では、「特異な才能児童」の多様性を鑑みその定義や判別にテスト指標等の一律の基準を用いることはしないという点が、再三確認されてきました。
特に知能指数(IQ)については、歴史的にギフテッド、才能教育のアセスメントツールとして研究されてきた経緯もあって、「IQは使わない」という有識者会議の議論・方針が注目を集めてきました。
しかし、なぜ「IQだけで才能の程度は測れない」と言えるのでしょうか?有識者会議の議事録を読んでも、その辺りの説明は見つかりませんよね。
2019年に放送されたNHKのギフテッド特集「知られざる天才 “ギフテッド”の素顔」では、
生まれつき高い知能(IQ130以上が目安)や才能を持つ「ギフテッド」と呼ばれる若者たち。
IQ=知能指数とは、言語能力や記憶力などの知的能力を数値化したもの。100を平均に、数字が大きいほど知能が高いとされます。中でも、IQが130を超える人たちが、生まれつき知的能力が高いギフテッド。
ギフテッドとは?高いIQを持つ天才たち その素顔と苦悩に迫る - NHK クローズアップ現代 全記録
・・・なんていう、「IQ=生まれつきの知的能力の高さを表す指標」だとしか解釈できない説明が何度もされていました。
こういった話を見聞きして、「IQは生まれつきの知的能力なのだから、IQの高い子は皆生まれつき知的才能に恵まれていると判断できるのでは?」そんな風に不思議に思っている人もいるかもしれません。
そんな方にとっては少々ショッキングかもしれませんが・・・知能検査(IQテスト)で測定しているIQが「知的能力の中で生まれつき変わらない部分」やら「持って生まれた知的能力」やらを反映した指標だという話、実は根拠が無いどころか、長年の研究の中で散々否定されてきたものなのです。
では、実際どんな研究証拠があるのでしょうか?具体的に見ていくことにしましょう。
注)この記事での議論は、以降全て妥当性と信頼性の検証が行われている標準知能検査で得られるIQを対象としています。標準知能検査とネットのIQテスト風パズルの違いについては以下の記事などをどうぞ。
「IQテストは生まれつきの知的能力を測る」という前世紀の幻想
知能検査の生みの親、BinetとSimonは、学校での学習が上手くいかない子供達を予め見出すことを目的に、ビネー式知能検査を作り出しました。
BinetとSimonの試みが、「学校での学習が上手くいかない理由は、学習以前の、人間の知的発達のより生得的な部分にあるのではないか」という予想に端を発していたのは言うまでもありません。
以降、「人間の知的能力の中でより生得的な部分の発達レベルをIQテストで測る」という試みは、高IQ児の追跡研究で有名なスタンフォード大学のTermanをはじめ、世界中の教育学者、心理学者に受け入れられ、継承されていきました。
例えばCattellは、人間の知能を学習依存性の「結晶性知能」と学習非依存的な「流動性知能」に分離できるのではないかという説を提唱し、流動性知能の測定を目指した非言語的知能テストとしてキャッテル式知能検査を生み出しました。
1960年代から80年代には、教育・心理学分野で著名な研究者であるJensen、Horn(CHC理論の"H"の人)、レーヴン漸進マトリックステストの作者であるRavenら非常に多くの研究者が、非言語性のIQテストで学習に寄らない生得的に獲得する知能成分を測定できると主張してきています。
では、そうした主張を裏付ける研究証拠は、実際に得られてきたのでしょうか?・・・残念ながら得られてきたのは、数々の否定的な証拠でありました。
非言語的なCulture Fair知能テストの失敗
既に紹介した通り、Cattellは自らが提唱した学習非依存的な知能成分である「流動性知能」の測定のために、独自の知能検査を考案しました。
このキャッテル式知能検査(Cattell Culture Fair Intelligence Test)の特徴は、図形を使った推論課題のみでテストを構成し、言語の使用を極力排除したこと。
ヒトの言語は100%学習依存的に獲得されることから、言語の使用を排すれば、学習非依存的な知能成分の測定により特化したテストとなる、というのが彼の予想でありました。
このCattellのコンセプトは多くの研究者の関心を集め、世界中で非言語性知能検査(Culture fair test)を使った研究が行われました。
そしてそれらの研究から示されたのは・・・図形ベースの非言語性知能テストのスコアは多分に文化や学習依存的であるという、Cattellの予想に反する現実だったのでした。
Culture fairテストの文化依存性という大矛盾。その発見の契機となったのは、Flynnによる「20世紀において、世界中の各地域で、知能検査のスコアが年々上昇している」という現象、いわゆる「Flynn効果」の発見です。
Flynnの研究では、①言語依存的な結晶性知能テストと図形ベースの流動性知能テストに分けて解析した時、むしろ図形ベースの流動性知能テストの方でスコアの経年上昇が著しい、②流動性知能テストのスコア上昇の幅が地域ごとに大きく異なる、という興味深い結果が示されました。
例えば、18歳の若者達のレーヴン漸進マトリックス(RPM)テストのスコアは、フランスにおいては1949年から1974年までの25年間でIQにしてなんと平均25ポイントも上昇しています。
しかし一方イギリスのデータでは、同じRPMテストの1938年から1974年までのスコア上昇は平均7.75ポイントと、フランスのケースと比べるとかなりマイルドな上昇に留まっていました。(その他の地域の詳しいデータは以下の論文でご参照下さい)
http://www.jugendsozialarbeit.de/media/raw/flynn1987_What_IQ_tests_really_measure.pdf
もしCattellの考え通りに非言語的知能検査が人間の知能の知識や経験に寄らない部分を測定しているのであれば、生まれつき知的能力が明らかに異なる人達が多数出現してきたという実態が無いにも関わらず、一部の国や地域に限って非言語的知能検査スコアの著しい上昇がみられるというのはあまりに不可解です。
そこでこのFlynn効果の原因を探るために行われた様々な研究が示したのは、非言語性の図形による知能検査は、言語、文化、経験、知識といった環境や後天的要因の影響を多分に、そして複雑に受けるという結論でした。
例えばこれは以前の記事で紹介した内容ですが、図形ベースの知能検査は、似たような図形ベースのテストを受ける"練習"の経験や解法ロジックの知識によってスコアが簡単に、そして大幅に上がってしまうことが研究で示されています。
また、微妙な文化背景の違いによって正解しやすい問題が大きく変わってしまう、言語を使用しないにも関わらず英語圏以外では点数が低く出る、文化背景の差はテスト問題を現地の言葉に翻訳したりその文化に身近なアイテムに置き換えても容易に解決できない等々、非言語性知能テストには想像以上に個人の生育環境の影響が強く出ることが報告されています。
https://www.researchgate.net/publication/232597610_You_can't_take_it_with_you_Why_ability_assessments_don't_cross_cultures
また、Culture fair知能テストの文化依存性を確かめたLozano-Ruizらの研究では、モロッコでRPMテストを実施する際にイギリス人の標準化データを使ってIQを算出すると、平均IQはそれほど大きく変わらないという結果になるにも関わらず、明らかに知的に問題の無い子供たちの実に15%以上が「知的障害」と判断されるレベルの低スコアになってしまうことが報告されています。
他にも、"Culture fair"知能テストの文化依存性を示した研究例は非常に沢山あり・・・これまでのところ、真の意味での"Culture fair intelligence test"、すなわち本当に文化や経験、知識の影響をほとんど受けないIQテストが作成されたという報告はどこにもありません。
もしそんなものが開発されていたら、心理学分野での世紀の大発明としてそのニュースは瞬く間に世界を巡り、そのテストは直ちに世界中で利用されるようになっているはずです。
つまり、人間の知的能力の中で生得的な、環境や学習や経験に非依存的な成分を上手く測定できる知能検査というのは現在に至るまでこの世のどこにも存在していません。
そして、そうした知能検査が存在しない事実から、これまで測定されたあらゆるIQについて、それが環境や学習に非依存的な、個人が生まれ持ったいわゆる「地頭」的な知的能力を反映していると言える科学的根拠は一切無いということもまた、ハッキリと言えてしまうのです。
自称脳科学者の中野信子先生は、講演で「非言語性知能は知識によらない地頭的な部分で、生まれつきの部分が大きくて、訓練しづらいとされている」みたいなことを平気で言ってしまっているみたいですけど、一体全体どんな研究証拠に基づいて言っているのでしょうね?
脳科学者・中野信子氏が説く「地頭」と「教養」の遺伝的な違い 脳の仕組みから考える、30代までの「環境」の大切さ - ログミーBiz
IQは色んな外部要因で変化してしまう指標である
さて、ここまでは「知識によらない地頭的な部分で、生まれつきの部分が大きくて、訓練しづらい知能成分」を測定できると予想された流動性知能テストが実際は文化や、知識や、学習の影響を多分に受ける事実、そしてIQが人間の生得的な知的能力の指標として有効と考えられる根拠は非常に乏しいという点を確認してきました。
しかし、IQが環境や他人の働きかけで後天的に大きく変化するものであるということを示す研究結果は他にも沢山あります。
そこで後半の記事では、IQが学校教育によって大きく影響を受けることを示した研究を見ていくことにしましょう。
(後半に続きます)