努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

うちのギフテッド児 最悪な授業態度の真相

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一度目の授業参観では、衝動的に発言してしまうことはあったものの、概ねきちんと授業に参加できていたケイ。


夏休みには発達外来でのADHD+アスペルガーの診断がありましたが、学校の授業にそれほど問題なく参加できていた様子は、わりと心の支えになっていました。

そして迎えた二度目の授業参観・・・この授業参観でケイは、親の楽観ムードに冷や水を浴びせかけるような、ものすごい授業態度を披露してくれました。

うちの子のあり得ない授業態度

この参観授業の科目は道徳でした。道徳と聞いてちょっと嫌な予感はしたんですね・・・なんせはっきりとした正解はない内容が多いので、ケイが不思議なところに興味を持ったり、不規則発言をぶちかます余地が大きいのではないかと。しかし、まあ嫌な予感は的中したものの、その方向性は、私の予想とはちょっと違っていました。

授業参観当日、教室に足を踏み入れると、キョロキョロと私達を探しているケイがいました。こちらを見つけてニコニコ手を振るケイ。やはりうちの子は、授業参観の緊張などとは無縁・・・そんなことを考えつつ、教室全体を見渡してふと視線を戻すと、そこには既に道徳の教科書を読み込むケイの姿がありました。

日直の授業開始の号令に起立しながらも、視線は手元の教科書に落ちています。まずは教科書を閉じて先生の音読を聞きましょうという指示もそこそこに、勝手に教科書を開いて読み始め、ページはすぐに授業と全く関係ない話へと進んでいきます。先生がクラス全体に質問を投げかけても、ケイの視線は教科書からまったく上がる気配がありません。

ケイが教科書のページを繰る手は全くとまらず、ケイは教科書を最後まで読んだ後、また最初に戻って一から話を読み始めました。先生の問いかけに、たどたどしさもありながら、それでもしっかり答えていく周りのクラスメイト達。そして、それを一瞥することもなく、教科書を読みふけるケイ。途中、クラスメイトが黒板前に出ていって、自分の考えを発表するということもあったのですが、それでもケイの視線は教科書に釘付けです。この周囲を全く無視しているかのようなケイの授業態度は、親の私にも、何がなんだか全く理解できませんでした。

結局、ケイが教科書から視線を上げたのは、授業もそろそろ終わりにさしかかったころ。たっぷり30分以上は、ケイは教科書を読み込んでいました。そして、最後の最後にちょこっと挙手して発表をして、この日のケイの参観授業は終わりになりました。

色々な子がいたけれど・・・

うちの子の異様な光景に、思わず同じようなことをしている子が他にもいるかどうか見渡してしまいましたが・・・教科書をパラパラめくっていたり、鉛筆で机に落書きをしていたりと、一時的に関係ないことをやっている子は結構ちらほらいましたが、授業の大半を視線も上げずに過ごしている子は、ケイ以外にはいませんでした。

そういえば、一回目の授業参観の時にはそれなりにいた立ち歩きをする子は、すっかり姿を消していました。やはりみんな成長しているなあと感心しつつ、なんだうちの子は、新しい問題を抱えているじゃないかと、途方に暮れる・・・。初回の参観ではそれほど問題なく、授業は意欲的に受けていると先生からも聞いていたので、これは中々ショックでした。道徳の授業がそんなに面白くないのか? これがいわゆる発達障害児やギフテッド児のデイドリーミングってやつ?

色々な考えが浮かんでいるところに、授業終わりのケイが、悪びれもせずに近づいてきます。思わず「なんで授業全然聞いてなかったの」と声をかけると「えっ?」と言ってきょとんとするケイ・・・ああ、バレていないとでも思っていたのか、それとも親の質問すら耳に入らないのかと、そのまま帰りの会の支度に戻ったケイの背中を見ながら、絶望感は増していきました。

 

 

想像を範疇を超えていたケイの感覚

懇談会は妻にまかせて一度仕事に戻り、帰宅した後のこと。やはり今日の授業態度に関しては、きっちり叱っておく必要があるだろうと、ケイに今日の授業の話を差し向けました。

「今日の授業、ずっと教科書読んでたよね」

すると、ケイは気まずそうに答えます。

「うん、面白かったからつい・・・」

授業を聞かないのなら、家で好きなだけ本を読めばいいじゃないか。そう言うために、教室でスルーされた質問をもう一度投げかけました。

「なんで今日の授業をぜんぜん聞かなかったの?」

するとケイは少々困惑気味に、「えっ?」と昼間教室で見せたのと全く同じリアクション。「何の話?」とでも言いたげな表情です。

今日あった出来事です。さすがに忘れましたとは言わせません。そこで、まず今日の授業内容を振り返らせてみました。授業の題材になった話の細かいストーリー、先生がクラスに投げかけた質問の数、順番、内容、どんな回答が出たか。今日の授業を聞いていたなら、当然答えられる内容です。

・・・驚いたことに、ケイは全て答えてみせました。ケイが挙手しなかった質問へのケイなりの回答も、遅まきながら披露してくれました。なぜ授業を聞かなかったのかという問いに「えっ?」と困惑したのは、質問が聞こえなかったからでも、ごまかしていたからでもなかったのです。ケイは確かに授業を聞いていました。教科書に目を落としながら。

それならば、読んでいた教科書の内容の方はどうなのか?教科書に書いてあったお話のタイトルと内容を聞いてみました。すると、読んだ話のタイトルをまずずらずらと並べだすケイ。覚えている話の筋を説明させると、やたら細かい詳細までぺらぺらと話しはじめます。まだ授業で扱われていない話の、本筋に関係ない情報まで、かなり頭に入っている様子でした。ケイの持って帰ってきた道徳の教科書とつき合わせても、確かに合っている・・・。つまりケイは、目から教科書の内容を頭にいれつつ、ほぼ耳からの情報で、授業内容もしっかり頭に入れていたのです。

参観授業でひたすら一人教科書を読んでいたケイが、授業後悪びれもしなかった理由がわかりました。ケイはあの傍から見たら最悪な授業態度を、悪いものだと思っていなかったのです。きちんと先生の話は聞いているし、問題ない。そういう認識でした。

たしかに、仮に授業態度を採点したならば、一切話を聞いていないように見えたケイが断トツの最下位で間違いありません。ケイよりも授業態度が悪い子は、いませんでした。しかし、授業に求められる課題の達成度で言えば、結果は違ってきます。先生の言った重要なことに聞き漏らしはなかったし、「全員してね」と言われていた発表も、クリアしていました。クラスの1/3くらいの生徒は発表ノルマをクリアしなかったことを考えると、達成度でみればケイが「授業に参加していなかった」とか「授業を聞いていなかった」と言うのは、難しいのです。

今後の学校生活で、ケイが「やっていない」「やる気がない」「興味がない」と誤解される可能性を、はっきりと認識した瞬間でした。親の私ですら、ケイの態度を見てケイが何も聞いていないと思ったくらいです。先生やクラスメイトに、ケイが何をしたかったか、実際に何をしていたか、注意深く観察したり、想像したりするのは不可能に近いことでしょう。

誤解されて当然というか、仕方のないことだと思いました。授業の大筋を耳で把握しつつ、教科書を読み続けようと思う、そして、それを現実的にやってのける人のことは、似たようなことができる人間にしか、想像できません。そしてそんな人は、きっと探しても中々いないのです。

できてしまうが故の問題

これは、ケイの知的好奇心と情報処理能力が高いが故に生まれる問題なんだろうなと思いました。普通はそこまで教科書を読みたいとは思わないか、教科書の関係ない部分を読みながら授業を聞いたらしんどくてやろうと思わないところを、ケイはやりたいし、無理なくできてしまう。その好奇心と能力そのものは、素直に恵まれた才能と言っていいだろうと思います。

しかし、その能力の突飛さ故に、周囲から理解されないという問題は、これからついて回るのかもしれないなあと、心配になりました。WISC-IVの結果を知っていて、ケイは普通の子ではないと思っている、親の自分すら想像が及ばずに誤解してしまったのです。ケイについて詳しい情報のない他の人が、ケイがどういうつもりで何をしているのか、正確に把握するのは、無理難題と言えるでしょう。

やはりアウトプットと親の理解が誤解を解くカギ

この件では、ケイの能力からくる常識はずれな行動や態度が、どうすれば周囲の誤解を招かないかという点を考えさせられました。もちろん、ケイに自分の行動がどう他人の目に映るかを理解する、メタ認知の能力を身につけさせるのが大切です。しかし、メタ認知能力の発達は、一般的に小学校の中学年以降とされるため、いくら頑張ってもいますぐというのは難しい可能性が高いと考えられます。

となると、いつどんな時も効果的なのは、やはりきちんと周囲にアウトプットを見せていくことなのだろうなと感じました。今回も、私がケイの授業態度の認識を改められたのは、ケイが授業と教科書の内容を両方理解していたことを、私にアウトプットとして示してくれたからでした。

それと同じように、学校でもきちんと自分が授業内容を理解していることをアウトプットとして示す。そうすれば、仮に授業態度が常識外れであっても、「聞いていない」とか「わかっていない」という誤解を避けることは、最低限できるであろうと思いました。

そして、何より重要だと思ったのは、親が子供の能力を正確に把握しておくことだなと思いました。ケイ自身も自分が特別なことをしているとは思っていないし、周囲もケイがそんなに特別なことをしているとは理解していない。そうした状況の中で、橋渡し役ができるのは、たぶん親だけです。

正直ケイの能力の特殊さについては、親として結構理解しているという自負があったんですね。だから、この参観授業の一件は、そんな親の油断を戒める、良い機会になりました。