努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

うちのギフテッド児、ある日の漢字練習と涙の歴史

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先日少し早めに家に帰ると、ケイが居間でノートを広げていました。家庭学習は早朝親が起きる前に終わらせてしまい、学校の宿題は大部分、休み時間や放課後児童クラブなどで親が帰ってくる前に済ませてしまう最近のケイ。何をやっているのか思って視線の先を覗くと、彼が取り組んでいたのは漢字の書き取りでした。

小学校に入ってこの方、漢字の書き取りはケイにとっては特別な存在です。何が特別かと言えば、それは些細なことでも楽しくこなすケイが露骨に面倒くさがるアクティビティであるということ。

いや、漢字練習は確かに面倒で私自身も嫌いだったし、漢字の書き取りが好きな子というのも、そもそもそんなに聞いたことはないのですけど・・・通信学習教材の広告にくっついてくるサンプルの問題集すら「一応全部解いてから捨てる」と言って聞かず、実際全部埋めて答え合わせまでしてから捨てるケイを知っていると、「そんなことまでやるのに漢字練習は面倒なの?」と、思わずにはいられない。

それに、ケイは漢字そのものへの興味は十分です。テレビに読めない漢字が映れば「あれなんて字?」とすぐ聞いてくるし、先日は自分で読めない漢字を調べるのに、国語辞典じゃなくて漢字辞典の方が便利(だから買って欲しい)ということを力説してきましたからね・・・。

久しぶりに見るケイの漢字書き取り風景になんとなく様子を見ていると、「改、改、改」とノートに書き連ねていたケイが、質問を投げかけてきました。「ねえ『改築』ってどういう意味?」

「築」は4年生ではまだ習わない漢字ですが、漢字ドリルに「改」を使った語句の例として出てきた様子。「建築」の「築」であること、「改」が何かを変えるという意味なので、建物を直したり新しく付け加えたりする行為を指すことを説明すると、ケイは矢継ぎ早に質問を重ねてきます。

「築の字のこの真ん中の右のやつって漢字としてあったよね?」「凡?」「そう、凡だ凡!」

さらには、「『改』が『変える』って意味ならさ、『改札口』の『改札』ってどういう意味?」と私も答えられない質問を飛ばしてくる始末。

急いでスマホで調べると、未使用の切符(札)を「使用済みに変える」ので「改札」と言うのだそうで。サンキューグーグル先生、いつも助かります・・・。

そんなこんなでふとケイの手元を見ると、「改」の練習もそこそこに、一生懸命「築」の字を書いている・・・それは5年生で習う漢字で、今君が練習するのは「改」の方なんだけどね?

まだ質問が止まらない様子に「まず集中して宿題を終わらせようか」と言うと、ケイは少しバツが悪そうに、また「改」の書き取りへと戻っていきました。うーん、相変わらずの散漫さよ・・・。

でも、こんなわちゃわちゃしたケイの漢字練習だけれど、これでも随分スムーズ・・・というか平和になってきたと感じます。それは恐らく、幾多の涙の果ての、彼自身の成長の証。

読めない漢字、書き直しの涙に濡れた漢字ノート

ケイが漢字練習で何度泣きを見たかは、もう覚えていませんが・・・これまで一番多かった理由は、なんと言っても書いた漢字が読めなかったりおかしかったりして、書き直しになった時。

私自身も字が汚いわけだし、子供の字にも厳しいことを言うつもりは毛頭ないけれど、それでもケイの字は本当に読めなかったり、払いや撥ねとかいう細かいレベルで済まずもはや別の漢字に見えたりして、書き直しにするということが特に1、2年生の頃よくありました。

丁寧に慎重に書いて、何度か直してもまだおかしな字を書くなら識字系の困難を疑う必要性があるだろうけど、ケイの場合は明らかに早く終わらせたくてスピード最重視でこなした結果だし、やり直したらきちんと書けるのだから、間違いなく取り組む姿勢の問題。

「別にきれいな字を書く必要は無いけど、読めない字は書く意味がない」「字は読んだ人に意味を伝えるための物なんだよ」「ここの線が飛び出していたら、読む人には違う字に見えるんだよ」そう説明して、宿題をやり直しにする。

子供が泣きながら字を消しているのは、見ているこちらも辛いものがあったけれど、でもどう考えても、読めない字、別の字に見える字を書くのを良しとする理屈は思い当たりませんでした。それでOKなら別に、最初からやる必要もないじゃない。

今でもケイの字はお世辞にもきれいとは言えないけれど・・・最近は流石に読めなかったり、違う字に見えたりするようなことは無くなってきました。それはきっと、書き直しで流した涙のお陰。

 

 

うちの子の漢字練習を支えてきたもう一つの涙

涙の書き直しはケイが漢字をきちんと書けるようになる上で必要なことだったと思うけれど、それは多分、ケイが「漢字練習は面倒」と感じる理由にもなってきたのだろうと思います。

それでも彼が漢字の書き取りを止めてしまわないのは、たぶん彼がこれまで流してきた、もう一つの涙のお陰。

それは、問題集やテストで漢字を間違えてバツがついた時の悔し涙。ケイはとにかく負けず嫌いなので、漢字の問題で思いがけずバツがつくと、時に癇癪を起こし、ポロポロと涙がこぼれます(まあ漢字に限ったことではないのですが)。

3年生の一時期、面倒くさがって漢字ドリルをあまりやらずにいたら、漢字テストでみるみる点がとれなくなったことがあったケイ。面倒でもやらないと漢字が覚えられないということを身をもって学んだ後は、自主的にきちんと漢字の書き取りをこなすようになりました。

書き直しで流した涙に、字を間違えた時に流した悔し涙。二つの涙の後押しで、ケイの漢字練習は進んできました。

漢字の書き取りが教えてくれたこと

漢字練習を終わらせて、Youtubeを見ようとしているケイに「漢字の書き取り、どう?楽しい?」と聞くと、「まあまあ」という微妙な答え。

「昔は嫌がってたじゃん」と意地悪な突っ込みをしてみると、「昔は面倒で嫌いだったけど、今はまあまあなの」、そう答えて手元のタブレットに目を落とし、彼は外界から隔絶されていきました。

漢字の書き取りの宿題は、「効果的じゃない」とか「漢字嫌いの子供を増やす」とか、「一律全員に課すのは時代遅れだ」とか、まあ色々な意見があります。最適な学習法が、子供一人一人同じではないというのは多分間違いのない話。

漢字の書き取りが面白いかと言われたら、ケイも私達も、絶対首は縦に振りませんけど・・・でもうちのケイの場合、漢字の書き取りから学んだことは、結構大きかったと思います。

それは漢字そのものというより、字を書くということの根本的な意義と、面倒なことでも目的に必要なことは頑張るという姿勢。彼の「今はまあまあ」という感想は、「面倒で決して面白くないけど、必要だし役に立つ」ということを学んだ結果だろうと思います。

何をしていくにも、簡単で楽しいことばかりでないのがこの世の中。漢字練習が子供にとって、楽しくないけど必要だったり役に立ったりすることのモデルになってくれるのは、結構意義がありやしないか。

そんなことを考えていて、ふと思いました。これから反抗期とか色んなことがあるかもしれないけれど、うちの子達が成長して大人になり、自分の親について聞かれた時に「今は、まあまあ」そう答えてくれるようになったとしたら、それでいいんじゃないか、なんて。