努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

小学校の再開に、先生宛の手紙に込める密かな楽しみ

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緊急事態宣言が解除になり、ケイの通う小学校でも正常化に向けての試みが探り探り進められています。分散登校、短縮授業、まだ完全に元通りではないけれど、待ちに待った3年生の生活が、やっとスタートできた模様。

楽しみにしていた理科の授業もあり、クラスメイトとも遊べる学校が、ケイは非常に楽しい様子。しかし、新学年の本格的なスタートに親として気になるのは、なんと言っても今年の担任の先生との相性です。毎年入れ替わるクラス担任、これまでの2年間はケイのユニークさを受け止めてくれる先生でしたが、今年は果たしてどうなりますか。

ケイに新しい担任の先生の印象を尋ねると、「優しそう!」という返事。去年の先生のことは第一印象で「怖い」と言っていたので、そことの比較がありそうです。でも、去年の担任の先生はケイのことを「面白い人」と言ってくれていたからなあ・・・子供の目線と大人の目線は違うのでしょうし、子供と保護者に対する先生の接し方というのも、違うのでしょうね。今年の先生がまた多様性に寛容な方ならば良いのですが。

毎年恒例先生へのお手紙

ケイは、とってもユニークな子。親の私達が戸惑うくらいなのだから、初対面の先生にノーヒントで色々理解してもらうのはまあ過分すぎる期待でしょうということで、先生が変わる度、手紙を書くことにしています。

学校側から提出を求められる児童の特徴や心配事、配慮を求めたい点を記す調査票もあるのですが、それだとケイの場合やや記入欄が足りない感じなので、説明足らずにならないように、でも想いが溢れすぎて先生にドン引きされないよう、大体A4一枚分を目途に。

去年、今年と書いていてやはり思うのは、ケイの特性を先生に伝えるのに、単純なラベルはあまり役に立たないということ。「ADHD」や「アスペルガー症候群」という診断名を単純に伝えたところでケイの特徴は正しく伝わらないし、それは「ギフテッド」という言葉に関しても、同じです。

「ギフテッド」という言葉を使って手紙を書く実験

これは完全に私のお遊びでしたが、試しに「ギフテッド」という言葉を使ったら、A4一枚分の手紙をどれだけ短くできるかという実験を思いついたことがありました。

前提条件として、先生は私と同様の「ギフテッド」の知識を持っているが、ケイのことは何一つ知らないという状況で、ケイの特徴を伝えるための説明をどれくらい省略できるかというもの。

この実験、思いついた瞬間は面白そうと思ったのですが、実際のところは文章を一文字も書くことなく、他愛もない思考実験として終わってしまいました。

だって、ギフテッドという概念が指すのは、能力面で凸のある、あとは非常に幅広い多様な個性なのです。アメリカのギフテッド教育組織最大手(?)、全米ギフテッド教育協会(NAGC)のまとめる「ギフテッド児の特徴」が30項目を超える大きなリストになっていることからも明らかなように、「うちの子はギフテッドです」と言われて、その人物像を具体的に描くことは、ギフテッドという概念に造詣が深くとも難しい。むしろ、ギフテッドというものを知れば知るほど、それは難しくなるのではないか。

だからギフテッドというラベルは、手紙を短くする役に立たない。結局うちの子の特徴を正しく理解してもらうためには、なるべく客観的かつ丁寧にそれらを言語化し、リストアップするしかない、というのが結論でした。

 

 

どうしても先生に伝えておきたいこと

というわけで、手紙の主眼はケイの特徴をわかりやすく示し、先生が戸惑わないように、ケイが誤解されないように、予め対応策を配慮としてお願いしておくことになるのですが・・・もう一つだけ、手紙を通じて私達が先生に伝えたいと思っていることがあります。

それは、ケイの過集中や多動・衝動性といった、小学校の集団生活上のデメリットをはらむ特徴を、私達親は凸能力であると捉えていて、修正するべき凹とは考えていないということ。

ケイの特徴のデメリット面で苦労するかもしれない先生の気持ちを逆なでしないように最大限の注意を払いつつ、そうした特徴がこれまでケイの成長に寄与してきている事実を示し、親としてもそうした能力を、集団生活上のデメリットを認識した上でもなお頼もしく思っているということは、必ず伝わるように書いています。

先生への手紙をめぐる密かな楽しみ

手紙の趣旨からは少々外れて、一つこの手紙に関して私が密かに楽しみに思っていること。それはギフテッドという言葉の出てこないこの手紙を読んで、「この親は子供をギフテッドだと思っているのでは」という可能性に思い当たる先生が、現れたら面白いということです。

ギフテッドという言葉は使っていないけれど、この手紙がケイの示すギフテッドの特徴に着目して書かれているというのは、その概念をある程度知る人からすれば、十分に読み取れることではないかと思うので。

まあ、それに気づいたところで、面談の時にいきなりギフテッドの話題を振ってくるようなリスクは、先生もとらないだろうとも思うものの・・・ギフテッドという概念が社会に広まっていく過程ではそんなことも本当に起こるかもしれないので、その展開にどう対応するかという準備だけは、こっそりとしています。

もちろん学校生活の主役は子供なので、親が邪魔にならないようには気を付けていますが・・・この先生宛の手紙に感じる小さなワクワクは、風船につけて飛ばした手紙や、川に流したボトルメールに感じるそれと、ちょっと似ているかもしれません。本当にこっそりと仕込む、かなりマニアックな親の楽しみです。