努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

「発達障害ではなくギフテッド」そう考える大切な意味 (1/2)

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現在の日本社会において、「ギフテッド」というのはおよそ何の実用性も持たない概念です。ギフテッドを正式に認定できる人もいなければ、仮にどこかで認定されたところで、それによって受けられる社会的サービスというのもほぼ存在しません。

ギフテッドという言葉はあまり正しく認知されておらず、子供の特徴を端的に伝えるためのラベルとしての機能も、期待できません。子供は「なんでもできる天才児」、親は「悩んでいる様子で子供を自慢してくる親」と盛大に誤解される可能性があり、「子供がギフテッドかもしれない」なんて、外では誰にも言えません。

つまり、現在の日本社会において「うちの子はギフテッド」と考えたところで、得られる社会的なインセンティブは皆無です。そして、もしこの判断を間違えれば、子供の人生に余計な重荷を背負わせ、子供に必要なサポートを与えられないというリスクだってあります。

それならば、この日本で子供をギフテッドと考えることに、親の自己満足以外の意味は見出せないのでしょうか?少なくとも私にとって、「うちの子はギフテッド」と考えておくことには、自己満足以上の、とても重要な意味があります。ギフテッドという概念は私にとって、うちの長男ケイを育てる上で何が一番大切なのか、見失わないようにするための大切な道標なのです。

「ギフテッド」を知らなかった頃の悩み

ケイのことは、ずっと発達障害ではないかと疑っていました。多動、衝動性、異様な対人積極性、空気が読めない、ずっと喋っている、過集中・・・行動的な特徴を考えれば、ADHDや自閉症スペクトラムに非常に当てはまります。

社会適応上の課題となり得る特性が、ケイに色々見られることはもちろん悩みの種だったのですが、ケイの特性には、もう一つ親をさらに悩ませる特徴がありました。それは、凸面と凹面が一体となっていて、分離できないということです。

分離できない能力凹凸の問題

発達障害と診断がつくかどうかに関わらず、ケイの社会適応上の問題となる特性には、何か対策が必要なのではないか。そういう考えは私達にも当然ありました。しかし、その上で非常に悩ましかったのは、ケイの特性には、明らかに才能としての側面が見出せるという点でした。

例えば、ケイの異様なまでの対人積極性。ケイはとにかく人見知りがなくて、誰にでも気軽に話しかけます。大人とのコミュニケーションが必要な時にも、親に助けを求めずに、必ず自分で話をしに行きます。子供相手であれば、すぐに自己紹介して相手の名前を聞き、「一緒に遊ぼう!」と誘います。明らかにグループで遊んでいる知らない上級生の集団にも入っていって、「僕もいれて!」とアピールします。

彼の対人積極性は、常識外れで理解されないことも多いし、上手く機能しないことも多い。理解されない、上手く機能しない場合、空気が読めていないことになり、相手に迷惑をかけたり、ケイが嫌われたり、傷つくということもある。従って、ケイの対人積極性は社会適応を妨げ、ケイの自己肯定感に傷を作る可能性を持つ、憂慮すべき問題と捉えることができます。

しかし、余計な心理的バリアなしに他人とコミュニケーションできるというのは、社会で生きていく上でとても有用な能力です。そして、ケイの対人積極性は、彼の高い独立心、自立心の反映でもあります。

ケイを見ていて、「ここまで物怖じせずに人に話しかけられたらいいな」と私自身が感じたことも、一度や二度ではありません。ケイの対人積極性には、大人の私達でも感心し、憧れる側面があるのもまた事実なのです。

これまで、確かにケイはコミュニケーション能力が追い付かず、その対人積極性を有効活用できていない部分がありました。しかし、ケイの対人積極性が上手く働く場合というのも、私達は見てきています。もうほんの少しケイの会話能力が追い付いたとしたら、その対人積極性は、素晴らしい能力に昇華する可能性を強く感じられるのです。

 

 

衝動性にまつわる分離できない凹と凸

もう一つ、同じ難しさを感じていたのが、ケイの衝動性についてでした。ケイは小さな頃から、気になったものに向かって一目散に走り出したり、すぐ手に取ろうとしたりと、非常に衝動的です。目に入ったものにはすぐに感心をもって、「やりたい!」と騒いだり「あれはなに?」と矢継ぎ早に質問してきたりと、とても騒がしい子です。私達が会話しているところに、全然関係ない質問でわりこんでくるということが、一日の内に何度もあり、それが毎日繰り返されました。

この落ち着きの無さ、衝動性は、当然小学校で問題になる可能性が高いと、危惧していました。しかし一方で、この衝動性は、ケイの何にでも関心を持ち、興味を持つ性質、つまり旺盛な好奇心と活動意欲の賜物であるとも感じていました。

好奇心、そしてそこから生まれる自発性と意欲は、人間の成長を生みだすエネルギー源なのです。人の好奇心を伸ばす確立された教育法が、未だにどこにも存在しないこの世の中で、旺盛な好奇心というのは、文字通り天賦の才です。ケイのIQテストの高スコアも、自然と進められてきた勉強も、支えているのは、間違いなくその旺盛な好奇心です。

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そしてケイの場合、対人積極性と衝動性以外にも激しい負けず嫌いや過集中など、社会適応上の問題に結びつく場面は容易に想像できるけれど、間違いなく能力・才能としての側面を有する特性が、複数ありました。

凹の解消が凸も消しかねないというジレンマ

実際に、ケイをアスペルガーの積極奇異型(+ADHD)と診断した主治医は、対人積極性が問題になることを防ぐためのアプローチとして「知らない人には話しかけない」というシンプルなルールを作ってしまうことを提案してきました。

しかし、ケイの特性の分離できない凹凸二面性の悩みは、ケイが発達障害の診断を受ける前からずっと悩んできたことです。「知らない人には話しかけない」という指導の仕方は、私達だって考えてみたことはありました。

でも、これからケイが出会う人の多くは、最初は「知らない人」なのです。「知らない人には話しかけない」というルールを作り、それが上手く機能したなら、ケイの積極性が発揮される機会は、根こそぎ奪われてしまいます。

親から見ても羨ましいその能力としての側面にまで、まとめて「欠点」という烙印を押し、封印してしまうような対応が正しいのか。それはとても危険なことに思えました。だから、主治医のこの提案にも、私達は賛成しませんでした。

そうは言っても、ケイのこうした特性が、社会適応上の問題に発展しかねないのも、また事実です。その凹面にはどう対応するのがよいのかということは、私達夫婦の間で幾度となく議論され、中々結論の出なかった問題でした。

(後半の記事に続きます)

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