この間うち、うちの長男ケイの多動について、最適情報処理レベルの高さで説明できるのではというモデルを考えていました。これはつまるところ、うちの子の多動の原因は好奇心の強さではないかという考え方です。この最適情報処理レベルによるケイの多動モデルは、一般的なADHDの多動の説明である「抑制機能が弱い」という特徴が、うちの子にはあまり当てはまらないという不満を動機として生まれてきました。そしてこのモデルは、好奇心が非常に強くて、頭の回転が速く、やることがないと多動が出るケイの特徴とよくマッチしています。なので、個人的に良いアイディアだと感じていたのですが・・・よく考えるとこの理論には、大きな問題点があることに気が付きました。
高い最適情報処理レベルによるケイの多動の説明の問題点
最適情報処理レベルが普通より高いということは、退屈な状態から脱する、つまり脳内情報処理量を最適レベルまで回復するのに、普通より大きな情報入力が必要であることを意味します。すると、最適情報処理レベルが高い子供には、退屈しやすいという特徴と同時に、「より大きな刺激や情報入力がないと退屈し続ける」という特徴がみられることになります。
「より大きな刺激や情報入力がないと退屈し続ける」、それはどんな子かと想像してみると・・・好奇心が非常に旺盛で、他の子供と同じ活動では満足できず、そういう場面ではずっと退屈だと苦痛を感じている子。同年代の子供には難しすぎたり、情報過多になるような活動でないと満足できない子。そういうような人物像が想定できます。
年齢相応の環境に適応できないギフテッド的な子には、上の人物像が当てはまる場合が結構あるようですが・・・ケイの場合には、この人物像が全くあてはまらないんですね。ケイが他の子供が楽しめるアクティビティに参加しながら退屈し続けているなんて、これまで見たことがありません。むしろ他の子より興奮して全力で参加するのが常であって、「僕これつまんない」とケイが言いだすところなんて、想像することもできません。
ケイはむしろ、とても些細なことでも面白がるタイプでの子です。ケイが歩く時にやっているマイルールのゲームも、暇つぶしに始める妙な動きも、他人から見ると逆に何が面白いかわからない代物です。あまりに些細なことすぎて、親もそれが暇つぶしなのだと気が付くのに時間がかかったくらいです。
そんな風に考えていた時、はっと閃きました。私はいつの間にか「同じ刺激から生みだされる情報処理量に個人差は無い」という前提を勝手に採用していたのです。「同じ刺激からは同じ情報処理量しか得られないので、最適情報処理レベルが普通より高い場合は、普通の人が満足する刺激で満足できない」と無意識に考えていました。しかしよく考えてみると、同じ刺激から得られる情報処理量にだって、個人差があるはずです。
刺激への感受性の個人差を考える
例えば、自分の好きなアーティストの曲であれば何回繰り返し聞いても飽きないのに、興味のないアーティストの曲は少しの繰り返しですぐに飽きてしまったりします。そして、そういう好みは人によって大きく違います。同じ授業の内容でも、1時間興味を持って聞いていられる人がいれば、はじめの5分で飽きて寝てしまう人もいます。刺激や情報の受け取り方は人によって異なり、また同じ人でも刺激や情報の種類によってその受け取り方は違う。それを示す例は、身近に溢れています。
同じ刺激や情報入力にどれだけ反応し、どれだけの情報処理量を生みだすか、つまり刺激や情報への「感受性」も、当然人によって違うと考えられます。授業に退屈しない人と退屈する人のように、同じ刺激からより大きな情報処理量が得られる感受性が強い人と、同じ刺激から得られる情報処理量の小さい、感受性の弱い人がいると考えられます。
ケイは、間違いなく感受性が強い子です。テレビを家族で見ていても、一人だけ涙するほど感動したり、一人で共感性羞恥に悶えていたり、同じ情報に対する反応性が人とは違い、過大です。笑い上戸で、成立しているのかどうかわからないレベルのダジャレでも面白がりますし、グラウンドに落ちてるゴム片や金属片を、面白がって拾って帰ってきたりするのもしょっちゅうです。ケイは、人が面白いと思わない些細なことにも面白みを見出す、感受性の強い子です。
ケイは高い最適情報処理レベルを持っていてとても退屈しやすい。しかし、同時にケイは強い感受性を持っており、刺激からより大きな情報処理量を得ることができるので、普通の情報、ちょっとした活動によって、低下した情報処理レベルを人並み以上に高い最適レベルまで簡単に回復できる。このように、脳の最適情報処理レベルの高さに、感受性が強いというケイの特徴を併せて考えることで、高い最適情報処理レベルだけを仮定した時に発生した矛盾を解消することができました。
最適情報処理レベルと感受性による過集中の説明
高い最適情報処理レベルと強い感受性は、ケイの多動性を説明するために考えてきた話でした。しかしこの理論を使うと、実はケイのADHD的特性の一つである過集中にも説明をつけることができます。
ケイは、テレビや本にひとたび集中すると、周りの音が一切聞こえなくなる状態になってしまいます。本当に周囲の声は聞こえていないようで、肩を叩かれてはじめて気が付く、といった具合です。小さな頃は本当に耳が悪いのかと思いましたし、幼稚園のお友達にも「ケイ君は耳が聞こえないんだよ」と言われていました。しかし、ケイの聴覚には異常はなく、むしろ聴覚過敏があって、耳は良いくらいなのです。
過集中も発達障害によく付随する特性の一つといわれており、マルチタスク処理の苦手、シングルフォーカス特性が原因だと言われます。しかし、ケイのWISC-IVの結果では、マルチタスク処理能力の課題を含むワーキングメモリ―指標のスコアはむしろ優れていて、ケイの過集中がマルチタスク処理の苦手からきているという解釈には疑問がありました。
そこで、最適情報処理レベルが高く感受性が強いという条件を考えると、マルチタスク能力に優れるはずのケイの過集中がうまく説明できます。まず、ケイは脳内情報処理が速く、最適情報処理レベルも高いので、複数の単純な課題を同時にこなすマルチタスクでは問題がでません。
しかし、テレビや本など元々大きな情報量を持つ情報源に接する時、刺激に対する感受性の強いケイの脳は、非常に大きな情報処理量を生みだしてしまいます。その大きな情報処理量が今度はケイの最適情報処理レベルを超過しそうになるので、ケイの脳では情報処理量過多による不快感を避けるために、その他の情報入力を一切シャットアウトする必要が生まれます。そうして、ケイはテレビや本以外の情報が受け取れなくなる。これが、高い最適情報処理レベルと強い感受性をもとにした、ケイの過集中の説明です。
ADHD脳にも色んなタイプが存在すると思う
このように、ケイの多動と過集中は、好奇心の強さ(を生みだす高い最適情報処理レベル)と感受性の強さで説明できます。衝動性は多動と重なる部分が大きい特性であり、ケイの注意欠陥は主に過集中時の「呼びかけへの無反応」の印象からくるものです(ケイも忘れ物は結構しますが、まあ1年生並みですし、小物の紛失はありません)。従って、ケイのADHD特性のかなりの部分は、好奇心と感受性の強さで説明できると考えられます。
多動や衝動性、注意欠陥と過集中、こうした特性があると、すぐにADHDと括られますが・・・同じ多動や衝動性でも、好奇心の強さに起因すると思われるケイのようなタイプもあれば、よく言われる抑制系が弱いタイプ、そして感覚過敏の不快感や不安感に起因するタイプなど、色んなメカニズムが考えられます。過集中も、マルチタスクの不得手に起因するものもあれば、ケイのようなマルチタスクに問題がないのに起こるものも存在しています。
そう考えると、今「ADHD」としてまとめられている人の脳に共通点を見出そうとしても、なかなか難しいのではないかという気がします。自閉症は、研究が進む中でいくつかの異なるタイプに分けられ、現在ではスペクトラム症候群として扱われるに至りました。ADHDも今後研究が進む中で、タイプ分けが進み、スペクトラム症候群扱いされ始める可能性も十分あるのではないだろうか、最近はそんなことを考えています。
高い最適情報処理レベルと感受性で特性が説明できる人は他にもいそう
高い最適情報処理レベルと感受性の強さによる多動と過集中の説明は、ケイの性格的特徴をもとにして、彼の特性が生じるメカニズムの説明を試みる中で出てきた理論です。しかし、上の方で「高い最適情報処理レベルを持つ子」の特徴を考えた時、年齢相応の環境に適応できないギフテッド的な人物像が導かれてきた時に、この最適情報処理レベルの高低と感受性の強弱という2次元軸で色々な発達特性が説明できる人は、他にも結構いるのではないかなあという気がしました。
多動や衝動性、過集中は、ギフテッド、ADHD、アスペルガー症候群と様々なカテゴリで共有される特性です。その中には、ケイのように好奇心や感受性の強さで特性が生まれていると考えた方が妥当な人が、散らばって混じっているのではないかと想像します。