努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

親に兄弟育児を失敗された体験と、そこからの学び

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努力の才能やボルダリング、ギフテッドとは少々違う育児の話題についても色々書いてみたくなったので、新しくこの「育児あれこれ」カテゴリを作ってみました。初回の今回は、兄弟関係について書いてみたいと思います。

うちには長男ケイ、次男ちーちゃんという、5歳違い、5学年差の兄弟がいます。しかし、兄弟関係がどうやったら良くなるかという問題に関しては、2人が生まれるずっと前から考えています。

どうしてかというと、私自身の兄弟関係が非常に悪かったのです。兄弟関係は私にとって、長い間大きなコンプレックスで、自分たち兄弟がなぜこんなに仲が悪いのか、ずっと不思議に思って考えていました。

良い思い出が何もない子供時代の兄弟関係

私には3歳違いの弟がいます。ケンカと争いばかり繰り返す、本当に仲の悪い兄弟でした。一緒に遊べばゲームやおもちゃの取りあいになり、勝ち負けでいちいち相手を煽ったりあざ笑ったりして、ケンカを繰り返していました。

ただの小競り合いでは留まらず、暴力沙汰に発展したり、物が壊れることも数知れず。ケンカに刃物を持ちだしてきた弟を、殴り倒して押さえつけるというような惨状だってありました。あまりの仲の悪さに、親も頭を抱えていました。

子ども時代の兄弟の記憶に、今思いだして楽しい、良い思い出なんて大げさではなく一つもありません。兄の私は弟に優しく接したり、面倒をみたりした記憶なんて一切ありませんし、当然弟に慕われた記憶もありません。弟に「お兄ちゃん」と呼ばれたこともありません(弟は私のことを名前で呼びます)。兄弟がいてよかったと実感した記憶がありません。

小学生時代は本当にケンカばかりで、自分たちがまともな兄弟関係にないことが長い間コンプレックスでした。近所の友達や同級生が、兄弟仲良く遊んでいるのを見ると、実に惨めな気持ちになったものです。中学生、高校生と年齢を経るにつれて、お互いほとんど口もきかなくなりました。大学進学を期に私が一人暮らしをはじめた後は、弟の消息は親から伝え聞くだけ、数年間は顔も合わせなかったと思います。

しかし、なぜ兄弟でこれほど仲が悪いのかは、自分でも不思議でした。弟がなぜ自分に対抗心を剥き出しでつっかかってくるのか私には理解できなかったし、弟もなぜ兄はこんなに自分に冷たく攻撃的なのかと、おそらく疑問に思っていたことでしょう。友達とは仲良くできるのに、どうして弟とは同じようにできないのか、自分でもよくわかりませんでした。

弟との関係が改善されてきたのは、お互い成人した後のことです。今では互いに家族を持ち、たまにですが、家族ぐるみで会って子供同士を遊ばせることもあります。でも、子供時代のことはお互いに一切話しません。話して楽しい思い出なんて、ひとつもないのです。

 

 

親に壊された私達の兄弟関係

ではなぜ子供時代に、あれほど仲が悪かったのか?その理由はずっと考え続けていました。そして、私が導き出した結論は「親の育児のせい」でした。

「平等な扱い」が生みだした兄弟差別

うちの親が犯したの最大の失敗は、子供一人一人の違いに目を向けず、考え無しに兄弟を平等に扱った点にありました。それはつまり、「平等」と「公平」の間違いです。

「平等」は個性や特性をまったく考慮せずに、機械的に同じ扱いをすることです。例えば、子供と大人の違いを考慮せずに、まったく同じ量の食事を出すのが「平等」です。一方「公平」は、個性や特性を考慮して同じ結果・効果になるよう扱いを変えることです。例えば、子供と大人の違いを考慮して、どちらにとっても過不足ないよう量を変えて食事を出すのが「公平」です。

私達の親は、兄弟を全く平等に扱いました。お菓子などは必ず2等分、お小遣いもお年玉も同額、ゲームもおもちゃも遊びも同じものといった具合に、年齢差を無視して全て平等です。個性も年齢も異なる二人の子供の違いを無視して平等に扱えば、当然ほぼ間違いなく不公平を感じる子供が生まれます。

私は兄として、3歳下の弟が、自分とまったく同じ扱いを親から受けていたことに強い不公平感を感じ、傷ついていました。お年玉も、ゲームもおもちゃも、3年前の自分がもらえなかったものを、「兄にもあげるから」という理由で弟はもらえるのです。平等と言いつつ、弟の方が生まれついて自分より優遇されているという不満を常に持っていました。親からの不公平な扱いは、子供にとっては大問題です。生まれた順番というどうしようもない理由で理不尽に差別されれば、当然自己肯定感が傷つきます。

そして、「平等」の名のもと一律に扱われていた影響で、私は年下の弟と遊ぶ時には、常に自分と同じ能力水準を要求していました。弟も弟で、自分は兄と対等でなければならないと、必死に立ち向かってきました。しかし、小学校時代の3歳差では、発達レベルが大きく違います。従って、弟は常に兄にできない要求をされ、自分と兄を比較し、能力が追い付かないことで、自信を喪失してきたのです。

こうして、「平等」が原因で、互いに自尊心を傷つけ合う、残念な関係性が構築されてしまったのです。うまくいかない兄弟関係を親に叱られ続け、私達兄弟の自己肯定感はさらに低下していきました。失われた自信を埋め合わせ、争いの責任を相手に押し付けるために、兄弟でさらに攻撃しあいました。相手を見下したり、弱みをあげつらったりしながら、とにかく自分が優位だと感じられるよう不毛な努力を続けていたのです。

兄弟仲を修復する方策を持たなかった親

子供の社会性は元来未熟であり、子供が他の子供との適切な関わり方を学ぶためには、先生や親など周囲の大人からの教育が必要です。そして、兄弟関係だってその点は何も変わりません。血縁があろうと、同じ家で暮らしていようと、自分とは別の人間であることに変わりはなく、兄弟間であれば適切な関わり方が自然と身につくというものではないのです。そして兄弟の場合、その関係性に関して影響力を発揮できるのは、ほぼ親しかいません。

しかし、残念ながら、私達の親はそうした育児の十分な知識を持ちあわせていませんでした。親の関わり方で子供の行動が変わるということにすら、考えが至っていなかったのです。親はケンカを繰り返す私達を何度も叱り、「兄弟なんだから仲良くしなさい」と言いましたが、具体的にどうすれば仲良くできるのか、私たちに教えてはくれませんでした。なぜ兄弟が争うのか、その原因をそもそも理解していなかったのですから、当然教えることなんてできなかったのです。

こうした理由から、この最悪な関係性を作りだした原因は他でもない、親の育児方針の誤りにある。それが、実家を離れて最悪の兄弟関係について考えた末の、私の結論でした。

育児の失敗について親と意見が一致

こんな風に書いていると、私が親のことを恨んでいるようにも感じられるかもしれませんが、実際のところそうではありません。実は、この問題は私の中ではかなりスッキリと解決しています。その一番の理由は、親が自分達の失敗を子供に対して自ら認めて、兄弟の関係改善に動いてくれたからでした。

ある時会話の中で、親の口から「あなたたち兄弟の仲が悪かったのは私達の育て方に問題があった」「何もかも平等にしようとしたのは良くなかった」と、それまで私が考えていたこととほぼ同じ内容に関して反省の弁が漏れたのです。「私達の育て方が悪かった」と認めてもらって、とても嬉しく、思わず「自分も全くそう思っていた」と言ってしまいました。

親は私達兄弟が交流を再開できるように、ことあるごとに仲立ちをしてくれました。そして、私達兄弟の関係は、少しずつポジティブなものへと変化してきました。失われた子供時代の思い出は帰ってきませんが、かなり遅くはなっても兄弟関係が改善されてきたのは、親が上手く働きかけてくれたおかげです。

うちの親には悪意なんてなく、ただ知識や能力が足りず、失敗してしまっただけなのです。その下手な育児で、私達は傷ついた。その点を認めて反省してもらったこと、そして弟との関係が改善に向かいはじめたことで、コンプレックスが解消され、私の中でこの問題は終わりにすることができたのです。

そして「兄弟仲が悪かったのは親のせい」という結論に、育てた側と育てられた側双方がそれぞれ独立に到達したことで、私は兄弟育児への自分の考え方に、大いに自信を持つことができました。

親の失敗から学んだ、うちの兄弟育児の抱負

実際に兄弟を育てる親となった今、自分の親と同じ轍を踏まないように、良い兄弟関係を作ってあげられるようにという気持ちは人一倍です。子供の個性を尊重して、公平に接することを目指すこと、良好な兄弟関係がうまく育まれるように、時には兄弟関係の構築に介入していく必要があること。親が失敗したポイントに関して心構えがあるだけで、同じ失敗を繰り返す可能性は低くなっているとは思います。

気を付けようと思っているのは、兄弟関係に付随して、嫌な思いや、損をさせないということ。生まれた順番なんていう自分ではどうしようもないことが理由で嫌な思いをすれば、兄弟関係は一気に理不尽なだけの代物になってしまいます。兄だから、弟だから損をした、兄弟がいたから損をしたと感じる経験をさせないことが、とても大切だと思っています。

そして、兄弟がいるからこその、ポジティブな経験をさせてあげること。2人で遊ぶ、協力する、兄は弟を庇護して信頼と自己有能感を得、弟は兄の愛情を感じ安心感を得るというように、非対称であっても一方的ではなく、互いの自尊感情にポジティブな影響を与える関係性を作っていくのが理想なのではないかと考えています。

そろそろうちの兄弟育児も本格的な幕開け

今のところケイはちーちゃんが大好きで、自発的にちーちゃんを守ってくれる頼りになるお兄ちゃんです。一方のちーちゃんは2歳で、イヤイヤ期真っ盛り。兄の愛情表現にもイヤイヤのつれない反応をして、ケイに「まだ赤ちゃんだから、しょうがないよなあ」と笑われています。

これが落ち着いて物事の道理が理解できるようになってきたら、ちーちゃんの個性もよりはっきりしてきて、ケイとちーちゃんの関係性が、だんだん見えてくるのでしょう。そうしたら我が家の兄弟育児も、本格的なスタートです。