努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

うちのギフテッド児の映像記憶と説明下手問題

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「そういえばお父さん、この間のロボットが出てきたあれの名前ってなんだったっけ?」

「ん??あれって?」と困惑顔で聞き返す私、きょとんとするケイ。そんな状況が、我が家にはよく訪れます。たぶん、一日に何度かは、間違いなく。

上の会話でケイが知りたかった答えは「ターミネーター2」です。最近TVで放映した「ターミネーター2」のことを急に思い出して質問してきたのですが、とっさに何を聞かれているのかまったくわかりませんでした。

自分の意図や状況を会話で相手に伝えるのが下手。これはケイが幼稚園の頃からの問題で、小2になってもあまり改善されません。誰が、どこで、何をして、どうなったか。この基本を全く押さえずに、「あのこの前のあれが」と指示語全開で話し始めることが多いケイの話を紐解くのは、親でもしばしば苦労します。

学校でもおそらく同じような問題は見られるのでしょう。国語の成績では「順序良く文章で物事を説明できる」の欄だけいつも「よくできる」ではなく真ん中の「できる」に丸がついています。「がんばろう」にはならないように気を付けなければならないと、少々気をもんでしまいます。

これは生まれつきなのかもと感じる理由

ネットで検索してみると、同じような問題を心配している親御さんの相談をちらほら見かけます。「5W1Hを意識する訓練をすればいい」とか「親との会話の中で上達する」とかいう意見も見かけたりして、まあそれはきっと間違いではないとは思うものの・・・説明の上手下手は生まれつきの素養の影響が結構あるのかもね、というのが、うちの子達を見ていて私が思うことです。

というのは、次男のちーちゃんは、状況や自分の気持ちを言葉で伝えるのが非常に上手なんですよね・・・。例えばちーちゃんに「今日保育園でどんなことがあったの?」と聞けば、「きょうねーほいくえんでねー○○くんとあそびたかったのにいやだっていわれてねー、ちーちゃんないちゃったんだー」と返ってきます。

ちーちゃんは、3歳になる前からこういう話し方を習得していて、色々びっくりさせられました。なぜってケイの場合、2歳と言わず4歳の時も5歳の時も、これだけ的確に要点を押さえてしゃべるなんてあり得なかったからです。

こんなことは本人達には絶対言いませんが、現時点でも状況説明をさせたら、ケイ(7歳)とちーちゃん(3歳)ではほぼ差がないか、下手するとちーちゃんの勝ちまであると思われます。

でもケイとちーちゃんの間で親の私達が話し方を変えたこともないし、2歳のちーちゃんに上手な説明の仕方の練習をしたことも、当然ありませんでした。下の子は上の子に習って色々早く上達するというのもよく聞きますけど、時に支離滅裂なケイの会話から、ちーちゃんが学んでアドバンテージを得たというのもまた少々考えにくいのです。

なので、こういうのは結構生まれつき得手不得手あるのかもな、と感じています。

 

ケイの言う「あれ」が言葉ではない可能性

まあ、ちーちゃんの言葉やおしゃべりの発達が周りの子やケイに比べてとても早いというのもあるのかもしれません。しかし、ケイの説明下手の原因が言語発達なのかと言えば、それもあまり納得できません。知能検査で見る限り、ケイの言語能力は同年齢の中でもかなり上の方だったんですよね。本も好きだし、語彙力だって十分のはずです。

では、なぜケイはそんなに指示語を連発し、伝わらない説明を繰り返すのか?私がケイを見ていて思うのは、彼のこうした説明下手には、映像記憶能力が絡んでいる可能性があるのではないか、ということです(ケイの映像記憶能力の話は、以前の記事もご覧ください)。


ケイの状況説明や会話には「あれ」という指示語がとにかく多くて「『あれ』って何?」とこちらが聞かないと何の話だかわからないことが多いんですけど、「『あれ』って何?」と聞かれた後のケイをよく観察していると、これが中々面白いのです。

「『あれ』って何?」と聞かれた時、ケイがよく持ちだす説明は決まってその「あれ」の見た目や特徴、自分がそれを見た状況なんですよね。「あのぴかぴか光ってて~」とか「ほらあの長方形の~」とか「おじいちゃんと一緒に見たあれ」とか、そんな感じです。

私の感覚だと、「あれ」という指示語を使うのは、「あれ」が指す言葉がすぐに出てこなかった時です。つまり、「『あれ』って何?」と聞かれて真っ先に探すのは、「あれ」に対応する「言葉」です。例えば冒頭のターミネーターの質問でいけば、「あれ」で置き換えないといけなかったであろう、ど忘れした「映画」という言葉を一生懸命思い出そうとすると思います。

しかし、ケイの場合はその言葉を探している感じが全くしません。仮に「映画」という言葉が出てこないのであっても、「あーなんだっけ、あれ!」みたいな感じで「忘れたものが出てこない」という状況は伝わるはずなのですが、ケイの場合はそういう様子が微塵もありません(「映画」という言葉は当然ケイも知っています)。

冒頭のターミネーターの質問の時も、「『あれ』って何?」と聞いて返ってきたのは「あの、銃を持ってて人間を殺そうとするのが出てくるやつ」という返事で、頭の中にイメージされていたのは、明らかに「映画」という言葉ではない様でした。

つまり、彼が頻繁に使う「あれ」は、他の言葉を代替する指示語としてではなく、彼の頭の中にあるイメージをダイレクトに参照するための便利な言葉なのではないか、そんな風に考えると、しっくりくる状況が多いのです。

映像だけしかはっきり残っていない記憶

日々の中で、ケイの頭の中には色んな映像が言語化・要約されずに保存されているというのを感じる瞬間があります。例えば会話の中で思いだしたTVのワンシーンについて、内容を要約せずに見たそのまんま説明を始めてみたり、「あの時こういうことがあったよね」と言ってその時の状況と会話の内容を事細かに辿ってみたり。

他にも、CMで流れた風景を自分の目で見た記憶ははっきりあっても、その場所の名前やいつ行ったかは覚えていないとか、映像に映っている人が誰かは覚えていないけど、同じ人の映像を以前も見たことがあることと、どこで見たかは覚えてるとか、「見た物とその事実の記憶」はしっかりあるのに、付随する情報は何も残っていないということが、ケイにはよくあります。つまり、見た画だけが記憶に残っているのです。

普通言葉を使えるようになったら、自分の見たものには嫌でも言葉のラベルが付いてしまいます。例えばりんごを目にした時に、「りんご」という言葉でラベルしないでいるのは、むしろ不可能に近いと私には感じられます。

そんな風に、私達が目にした物事、場面というのはある程度短く言葉で要約されて意味づけされてしまうと思うのですが・・・ケイの場合には、そういうプロセスもそこそこに、見たものがそのまま記憶として放りこまれている、そんなことが起こってるのではないかと感じさせる場面が非常に多いのです。

彼の頭の中で何が起こっているか、本人から聞きだそうとしても中々難しく、真偽は不明なんですけど・・・傍から見ていてありそうなのは、ケイは物事を見た通りにイメージで覚える癖があるせいで、それを言語化し容量を減らして覚えるというのが逆に苦手なんじゃないかな、という可能性です。そして、その言語で記号化しないという点が、言葉での説明の下手さにつながっているのではないかと。

やることは結局一緒

まあ何が起こっているにせよ、ケイの説明下手が少しでも改善するように、彼にやってもらうことは結局言語化の練習に変わりありません。とりあえず、「あれ」「あの」を使わずに説明をする練習からやっていこうと思います。

少々問題なのは、私も最近言葉が出てこずに「ほら、あれだよあれ」なんて言ってしまうことが増えてきていることでしょうか。ケイに「お父さんも言ってる癖に」と言われないように、気を付けないといけません。

でも、確かに同じ「あれ」なんですけど・・・ケイと私が「あれ」と言う時、その「あれ」に付随して想起されている脳内イメージの鮮やかさには、雲泥の差があるような気がしています。