努力する子の育て方

努力に勝る才能無し!努力の才能を育てる教育法、ボルダリングによる育児ハック実践、我が家の超個性的なギフテッド児の生態など

うちの子の成績表(あゆみ)を見ながら思うこと(1年生、2年生)

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前回、IQと学業成績の相関についての記事を書きながら、「そういえばケイの学校の成績について書いたことがなかったな」とふと気がつきました。

成績の話を書いてこなかった理由はと言えば、私自身が「学校の成績」というものにあまり関心が無く、ケイの成績表にも取りたててコメントするところがないと感じていたことが要因としてあります。

でもまあ、興味のあるトピックは人それぞれ。だいぶユニークな特性を持つケイの成績表がどんな様子かというのも、どこかの誰かにとっては気になる情報だったりするかもしれません。そして、IQと学業成績の相関について書いた手前、うちの子の場合どんな感じかをサンプルとして提供しておくのも悪くないかもしれないと。

というわけで季節外れ感は否めないものの、今回はうちのケイの小学校1年生、2年生の成績を紹介しつつ、それを見ながら考えたことなどを書いてみたいと思います。

うちの子の小学1年生の成績

ケイの小学校では、1年生の成績は3段階評価(よくできる◎、できる○、がんばろう△)です。学校の成績表は各校独自のフォーマットを使うケースが多く、スキャンなどは見る人が見ればどこの誰だかわかってしまうということで、ここに載せているのは実際のケイのあゆみの内容に沿って、私が再構成したものです。

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各学期分やるのは面倒だったので、学年末の総合所見のみを載せています。算数だけは「よくできる」がフルマークですけど、その他は「よくできる」と「できる」が混ぜこぜな感じですね。

生活に関する所見は、正義感の強さとか、学習への意欲、掃除への情熱、算数で他の子に助け舟を出せたといったような内容が触れられていました。

小学2年生の成績

こちらはこの間の3月にもらった2年生の学年末の成績です。2年生の成績も3段階評価ですね。

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算数以外にも国語が全部「よくできる」になりました。が、その他の教科は印象的にあんまり変わらない感じです。国語は、「『がんばろう』にならないように注意しないと」と以前の記事で心配していた「見たこと聞いたことを順序良く書く」が「よくできる」になっていたので安心しましたが、とにかく苦手だと思っていた項目だったのでちょっとビックリしました。

生活に関する所見では、学習への全体的な高い意欲、掃除への情熱、体育で他の子にアドバイスを的確に出していたといったような内容が触れられていました。うちの子は学校でも掃除が好きなんですね。家でもトイレ掃除や部屋の掃除のお手伝いを喜んでしてくれます。

 

 

自分たちなりの子供の成績表の見方

子供の成績表を見て親が考えることも千差万別化なのでしょうが、私達の場合はとにかく自分達が持っているケイの印象と、先生の評価との間に大きなズレが感じられなければ良いと思っています。

ケイの場合、算数は家庭学習で上の学年の内容を学習していて非常によくできるのが明らかなので、もし算数の成績に「できる」があったなら、ケイが授業で何かやらかしていないかとか、学校で楽しく勉強できているかとか、そういうところの問題を疑って理由や原因を細かく検討するポイントになるでしょう。

あとは、学習意欲の高さに何も触れられなくなったり、国語や算数の「進んで学習する」の部分が「できる」になったら、ちょっと心配になってくる感じでしょうかね。

もちろん「よくできる」が多ければそれなりに安心ですけど、全体を見て「がんばろう」が無ければとりあえず良いと考えています。小学校の先生をしている友人に聞くと、「がんばろう」は及第点を割っているとはっきり判断できる場合にしかつかない、先生からの明らかな「心配です」のメッセージということなので、それはしっかり汲み取る必要があるなと。

また、生活所見欄にネガティブな内容を書くというのも、先生的にはよほどのことが無い限りやらないことだそうなので(友人談)、そうしたことがあったならば、やはり先生からのメッセージとして対応していく必要があるのかな、と。

でもまあ、成績表の短い生活所見欄なんかより、先生との面談の方が学校生活の様子や問題を知る上では圧倒的に有益だし、絶対評価の小学校の成績表は子供の学習能力を知る上ではやはり限界があるので、本当に参考程度、といった感じで受け止めています。

ケイ自身も成績表には大して関心が無いようで、「もらってきた?」と聞いたら「ああそんなのあったね」みたいな感じで出してきますし、親がそれを見ている様子や感想というのも全く気にしていないようです。

同じく持って帰ってきた、学期中に図工で作った作品などは、自分が何を考えて作ったかや工夫したところを一点一点説明してくれて熱量が違うんですけど、それで全然良いというか、健全だと感じています。小学生、それも低学年児が成績表に一喜一憂していたら、逆にそれはかなり心配になってしまいますね。

小学校の成績なんて・・・という正直な思い

上でも出てきた小学校の先生をしている友人曰く、成績表というのはどの先生もかなり苦労して作っているということなので、粗末には扱えないなとは思うものの・・・やはり小学校の成績表からわかることは非常に少ないし、先生からの「心配」メッセージ以外のところで一喜一憂する必要は全くないと考えています。

以前も記事に書きましたけど、学校の偏差値とか成績なんて、社会や研究分野での活躍とは本当に関係が薄いというのが、私自身非常に強く実感するところ。 


そして、それは実際の社会科学研究が示しているところでもあるんですよね。高校や大学の成績であっても(もちろんIQも)将来性との関係性は全く強くないのに、いわんや小学校の成績をや、といったところで。

ケイが持って帰ってきても大して話題に上らず、さっと目を通された後はほぼ誰にも顧みられることのない「あゆみ」ですけど・・・まあこうしてブログのネタにしておくのが、良い供養(?)なのかなと思いました。あまり放っておいたところで、化けて出るというものでもないんでしょうけどね。